4月7日(火曜日)
午前5時ごろには目が覚めていたけれど、疲労感が重いので、布団に横になったままでいた。
それでも気持ちが落ち着かず、7時には起きだして、自分の朝食を用意して、もそもそと食べた。
8時過ぎ、宅食サービスのお店に電話して、父が入院してしまったことを伝えて、お弁当を止めてもらった。お店の人は、悲しそうな声で私を励ましてくれた。
お弁当の配達に来る人たちの表情が、なんだかお葬式に来る人のようだと感じていたけど、その理由が分かった気がした。きっと、利用者さんとの別れが、頻繁にあるのだろう。見守りも兼ねての、老人向けケータリング。重いお仕事だ。
地域包括支援センターの営業が始まる8時半ちょうどに、ケアマネさんに電話して、父の現状を伝えた。介護保険申請の進み具合を聞いたら、意見書を書いてくださる医師の進み具合によるとのことで、確認してみると言ってくれた。
父の面会は午後からなので、それまでは、ゆるっと家事などしながら過ごそうと思ったけれど、どうにも身体が重い。
父のかかりつけの医師に処方してもらった風邪薬を飲んで、しばらく休んでいたら、いくらか元気が湧いてきたので、病院から持ち帰った父の衣類を洗濯することにした。
退院するときには、外出着を持っていかなくてはならない。時期がいつになるかは分からないけど、心づもりはしておこうと思う。
お昼過ぎに軽く昼食を取り、父の面会に行く準備を始めた。
病棟の看護師さんに、院内で履くためのスニーカーを持ってきて欲しいと言われていたけど、玄関やクローゼットには見当たらない。
買いに出ようと思ってGoogleマップを調べたものの、実家の徒歩圏内に靴を売っている店がない。一番近いショッピングモールが、3kmちょっと。いまの私の体力では、とてもじゃないけど歩けない。
どうしたものかと思いながら家の中を歩き回っていたら、二階に置いてあるルームランナーの陰に、履き古したスニーカーが置いてあるのを発見。一つ問題が解決した。
そうこうするうちに時間が経ったので、必要な荷物をまとめて、タクシーを呼んで父の病院へ向かった。
来てくれたタクシーの運転手さんは、母の転院の日にも私を乗せてくれた方だった。その時にいろいろと事情を話したことを覚えていてくれたようで、今度は父が倒れて入院したのだと話したら、とても驚かれた。
運転手さんのお父さんも90代で、お一人で暮らしているのだという。私の事情が全く他人事とは思えなくて、覚えていてくれたのかもしれない。
病院に着いて面会の申し込みをしてから、病棟に上がるまでの間、正直かなり気が重かった。
突然の救急搬送と入院の強行が、父にとって全く不本意だったことは間違いない。怒って帰りたがっていたら、どうしたらいいのか…
病棟のインターホンを押して名乗ると、看護師さんがすぐに来て、父の病室に案内してくれた。
部屋に入る前に、
「あの、父、意識は有るんでしょうか」
と聞いたら、看護師さんは、
「ありますよー。サインしてもらう書類を持ってくるので、お待ちくださいねー」
と、軽やかに去っていってしまった。
仕方なく覚悟を決めて、父の枕元に立った。
具合はどう?
痛いところはない?
そう声をかける私に、父はしっかり視線を合わせて、ゆっくりと口を動かした。
た
す
け
て
声を出さずに、父は繰り返し、そう言っていた。
「おじいちゃん、たすけてって、言ったの?」
そう聞くと、父は口を動かすのをやめて、微かに頷いた。
胸がぎゅうぎゅうと押しつぶされるような気がしたけれど、ここで父に何をどう伝えるべきか、即刻判断しなくてはいけないことも分かっていた。
「おじいちゃん、肺炎だったんだよ。症状が重くなってしまってて、入院して治療しないと、すごく危なかったの。お世話になってるT先生も、すぐ入院するようにって、昨日、言ったの」
現状をわかってもらおうとして紡いだ私の言葉は、父にしっかり届いたようだった。
かすかに頷くと、父は納得したような表情になり、目をつむった。
ここの病院の面会時間は15分と決まっている。母の病院の10分よりは長いけれど、じっくり話し込むような時間はない。
父の記憶がまた飛んでしまう可能性を考えて、私は言葉を重ねた。不安に陥らないように、何か希望につながる指針を握っていて欲しかった。
「肺炎はね、点滴して治療すれば、よくなるって。しっかり治してもらって、早く家に帰ろう。おばあちゃんも、心配して待ってるから」
父は、頷いてくれた。
(_ _).。o○
父との会話の区切りがついたところに、看護師さんが書類を持ってやってきた。
入院診療計画書。
退院支援計画書。
その二枚にサインをして病室を後にし、入院相談窓口に回って、保証人関連の書類に印鑑を押して提出し、なんだかとっても疲れたので、院内のローソンでサンドイッチとヴィジソワーズなどを買ってベンチで食べていたら、携帯の着信音が鳴り出した。
母の入院先からの電話だった。
かけてくれたのは、昨晩の大混乱の看護師さんとは別の方だったけれど、父と私に会いに来ようとする母の暴走の件は、しっかりと申し送りされていたようだった。
「昨日の担当の者から事情等をうかがっていまして、今日これから介護タクシーをチャーターして、旦那さんのところにお送りするっていう話になっているんですけど、実はですね、いまうちの病棟、咳をしている方が多くてですね、お母様も昨日から、かなり咳き込んでいらっしゃるんですけど、この状態でも、そちらの病院様では面会って可能でしょうか」
不可能です。😭
入り口で、がっちり弾かれます。
というか母、咳が出てるなら大人しくしていてほしい。
改めて、いまのところ父は命に別状がなさそうであることを伝え、母に安心するように言ってほしいとお願いした。
なんだか、ぐったり疲れた。(´・ω・`)
母の入院先、ファンキーすぎるのではなかろうか。
でも、ちょっと面白かった。
病院を出て、午後4時ごろ、タクシーで実家に帰宅。
家に入って、病院でサインしてきた入院診療計画書などを再度読んでいて、とんでもないことに気がついた。
入院診療計画書には、推定される入院期間は「一週間程度」とある。
退院支援計画書のほうには、「自宅への退院が困難な場合は、介護保険申請、区分変更の検討を行い、退院調整先の支援していきます」とある。その期間も一週間。
つまり、父は、治療によって肺炎がよくなった場合、二週間後には今の病院を退院することになるのだ。
父の介護保険が通るのは、早くても今月末とケアマネさんから聞いている。二週間後に退院しても、十中八九、介護保険を使えない。
頭を抱えながら、地域包括支援センターに電話を入れて、事情を話すと、ケアマネさんも頭を抱えているようだった。
「お話をうかがう限り、お父様は自宅で暮らせる状態とは思えないんですが」
「ですよねえ…私一人で、今の状態の父を見るのはたぶん無理ですし、仮に家に支援をガッツリ入れていただいたとしてと、相当厳しいのではないかと」
「24時間ケアということになりますから、自宅よりは施設、という選択になりますけれど…」
「でも二週間後って、申請通ってないですよね…」
「ちょっとギリギリ、いやらかなり、全く間に合わないかと…」
もう笑うしかない状況なので、お互い笑いながら楽しく電話を終えたのだけど、このケアマネさんは、どうやら只者ではない方であったらしい。
半笑いでため息をつきながら、退院支援計画書を眺めていたら、携帯が鳴った。ケアマネさんからの電話だった。
「お父様の申請の進み具合を確認してみましたら、今週木曜日には認定会議、翌日には書類発送とのことで、来週火曜日には、そちらに書類が届くことになるかと」
「え!? ということは、父の退院が二週間後だとしても」
「間に合いますね」
我が両親のケアマネさんは、ウルトラのケアマネさんだったらしい。
ヒャッホー、と叫んだりはしなかったけど、とりあえず、肩の荷がほんの少し減った気がした。
もちろん、乗り越えなくてはならない壁は、まだ山ほど残っているのは分かっている。でもそれはきっと、なんとかぶち破れる壁のような気がする。
(_ _).。o○
父がいないから、夕食は超手抜き。
炊いてあったご飯と、コンビニで買ったレトルトの肉じゃがなどで、ごまかした。