4月6日(月曜日)
7時過ぎに起きて、父の朝食を用意した。
食欲は少しずつ戻ってきているものの、おかず類は喉を通りにくいようで、食べられるのは、おじやと味噌汁、ヨーグルトかゼリー類のみ。
9時前、タクシーを呼んで、かかりつけの病院へ。心電図とレントゲンの結果、症状は落ち着いてきているとのことで、点滴はせず、処方薬も少し減った。
でも、見せてもらったレントゲンの映像の肺のあたりに、先週にはなかった影が少しあるように見えた。それに、肺の下のほうの腫れのようなものも、あまり改善していないようにも思えた。
本当に大丈夫なんだろうかと思ったけれど、よくなったと言う医師の言葉に安堵している父の前では、聞きにくかった。
その後、私も咳がつづいていることを理由に受診し、父のいない場で、父に認知症と思われる症状が出ていることを医師に相談した。
存在しない通帳を、いつまでも探し続けて、銀行に問い合わせに行こうとすること。
数分前に薬を飲んだことを忘れて、また飲もうとすること。
そうしたことが、日に日に増えていて、不安を感じること。
医師の意見は、次のようなものだった。
今回の身体の不調のせいで、一時的にそういう状態になっているのであれば、症状の改善とともに元に戻るかもしれない。
けれども、94歳という年齢を考えれば、認知の問題が出てもおかしくない。
認知症の薬は、まず効かないし、薬が増えることでかえって混乱することも多いので、処方しない。
このまま症状が続くようであれば、それ以降は医療ではなく介護の問題として、地域包括センターと相談して、生活の基盤を整えていってほしい。
父の肺の状況についても聞いてみたところ、とりあえずは一段落したけれど、年齢的なものを考えるなら、いつ何が起きるかは分からない、と言われた。
そう話している医師の表情が、なんだかとても寂しそうだったのが、心に残った。
30年来、父を診てくださっていて、共通の趣味の話などを大いに楽しむこともあったと聞いているので、父の弱った姿に思うところがあるのだろうなと想像した。
(_ _).。o○
病院から帰ると、父は、疲れたといって、椅子に座ってうたたねをし始めた。
正午過ぎに、お昼ご飯を用意して、父を起こし、一緒に食べた。おじやと味噌汁のほかに、ベビーリーフのサラダを少し出してみたら、美味しいといって食べてくれた。
(_ _).。o○
午後3時過ぎ、タクシーを呼んで、母との面会に出かけた。
父も誘ったのだけど、だるいから家にいるという。いつもは3時前に届く宅食サービスのお弁当が、今日に限ってなかなか届かないので、留守番する父に、受け取りをお願いしたら、「大丈夫だ」と言って、玄関先まで出て、タクシーに乗る私を見送ってくれた。
母との面会は、10分間。
病室に入ると、ベッド脇のサイドテーブルにストップウォッチを置かれ、それが鳴ったら終了とのことだった。
冗談みたいに厳しい時間制限については、あらかじめ聞いていたから、母に伝えたいことは、便箋4枚に箇条書きして持ってきていた。書いたのは、主に父の様子と、認知症状を含めた病状の変化、通院の記録など。とてもじゃないけど、10分では話しきれない。
母のほうも用意周到に、メモを作ってくれていた。その中に、町内会の当番や、会費などについてのことがあり、早急に対応したほうが良さそうだなと思った。
母の近況を素早く聞き取りつつ、お互いのメモを交換し、父についての共通認識を獲得できたところで、10分間の面談があっけなく終了。別れ際に、
「おじいちゃんの最近の写真、ないの?」
と聞かれたので、風邪引いてバタバタしてたから撮ってなかったと言い、次は必ず撮ってくると約束した。
アプリでタクシーを呼んで、帰宅。
玄関を開けて、「ただいま」と声をかけたけれど、父の返事がない。いつもなら、うたたねしていてもすぐに起きて、答えてくれるのに。
居間に入ると、父は椅子に座っていた。
起きてはいたようで、再度声をかけると返事はしてくれたものの、眠気があるのか、反応が少しにぶい。
母の様子を伝えたあと、渡されたメモにあった町内会の当番のことを父に相談すると、
「それどころでない。そんなもん、町内会長に連絡して、当番などはやめさせてもらおう」
という。連絡先は分かるかと聞くと、手紙が来ていたはずだと行って立ち上がり、廊下のクローゼットを開けて、中の紙類を調べ始めた。
けれども私の知る限り、そのクローゼットには、手紙のようなものは保管されていないはずだった。父が「これだろう」といって渡してよこしたら書類ケースの中身は、全て、父の病院での検査結果をプリントしたものだった。
これ、違うみたいだよと、父に言うと、
「俺、ここで、何してたんだ?」
と言うので、町内会長さんの連絡先を探してもらってたんだよと教えると、ああそうかと言って、また同じところを探し始める。
これは無理だろうなと思ったので、
「心当たりの場所があれば、私が探すから、座って休んで」
と言うと、突然、父が、うああああと声をあげて、後ろに倒れこみそうになったので、あわてて脇と背中を支えた。
父はそのまま床に座り込んだのだけど、まるで高いところから落ちそうになっているかのように、うああ、うああと、不安そうなか細い声を上げ続けて、上体が安定しない。
どこか痛むか、めまいがするのかと、私が聞くと、「めまい」と答えて、その後は何を聞いても、「うー」と言うばかりになった。
視線は合うし、何か言いたそうに口元を動かすけれど、言葉にならない。手足も動かせない様子だった。
救急車を呼ぶべきかどうか判断に迷ったので、午前中に受診したかかりつけの病院に電話をかけて状況を話したら、すぐ救急車を呼んでくださいと言われた。
判断に迷ったのは、先月末の日曜日、父が風邪をこじらせた時に、救急車を激しく拒否されたからだ。
呼吸困難に近い状況だったため、自治体の救急相談窓口に状況を話し、「救急車を呼んでください」と言われたと伝えても、父は受け入れず、かといって休日診療所にも行きたくないと言い、しまいには、
「そんなところに行かされて、苦しい思いをさせられるくらいなら、家で死ぬ!」
と断言までされ、どうにもならなかった。
(結局土日の二晩、半徹夜で父の呼吸を見守ることになった)
そういうことがあったから、父には救急車を呼ぶとは言わず、
「いまから『病院』にきてもらうから! ここで診てもらおう! いいね!?」
と伝えると、「う」と頷いたので、即座に119番に電話した。
すぐにサイレンが聞こえてきたけれど、父は気づく様子がなく、座って俯いたままだった。
救急隊員の方々に家に入ってもらい、
「おじいちゃん、『病院』が来てくれたよ!」
と声をかけると、反応は曖昧だったけれど、少しだけ安心したような様子があった。
隊員の方々の質問には、父はそれなりに言葉を返そうとするのだけど、全くろれつが回らず、聞き取れない。
私も救急隊員さんたちから、いろいろと質問された。
母が骨折して入院中であること、両親とも介護保険の申請中であること、現在の父の持病、通院や投薬の詳しい状況、生活の様子、自立度、ここ数日の体調、午前中の内科受診の詳しい状況など。
最後に父と普通にコミュニケーションを取れたのはいつだったかと聞かれたので、母との面会から帰ってきた直後だから、午後4時以降だと思うとこたえたら、正確には何時何分ごろかを知りたいという。父の病変を把握するための重要な手がかりになるのだという。
それで、Silent Logという、行動記録用のiPhoneアプリで帰宅時間を確認しようとしたら、なぜか、母との面会の前後の移動記録が残されていなかった。
仕方がないので、面会時間終了後からの自分の動きを思い出しながら、父と町内会について話した推定時刻を報告したのだけど、残念ながら消防隊員の方には根拠が弱いと思われたようで、
「うーん、一応、4時ジャストってことにしときましょうか」
と言われ、なんだかやるせなかった。(´・ω・`)
…いま気づいたのだけど、タクシーアプリの使用履歴を確認すれば、実家に戻った時刻は正確に分かるのだった。
アプリによれば、タクシーが自宅に着いたのは午後4時2分。居間に入ってすぐ、母のメモ書きに町内会のことがあると話して、町内会長さんの連絡先を探し始めているので、最後に父と普通に会話したのは、おそらく4時10分あたりだろう。
その後、救急隊員さんによるチェックで、父が高熱を出していること、体の動きや言葉の不自由さは見られるものの、高熱のせいで一時的にそうなっているのだとすれば、搬送先の病院で点滴などの治療を受けたあと、入院にならずに自宅に帰される可能性もあるけれど、それぜも救急搬送を希望するかと聞かれた。内心、もやっとするものはあったけれど、治療で回復するならそれでも構わないから搬送してくださいと答えた。
そもそも点滴だけで回復しなかったから、こういう事態になっているのだけど、それを救急隊員さんに言っても仕方がない。
搬送先の病院の希望を聞かれたので、できれば母の入院先にして欲しいとお願いしたら、すぐに打診してくれたけど、残念ながらベッドの空きがなかったという。
搬送先が決まらないまま、父と一緒に救急車に乗り込んだ。血中酸素濃度が落ちているとのことで、父は鼻から酸素のチューブを入れられ、心電図や血圧計などにも繋げられて、だいぶ物々しい姿になってしまった。
そういえば母が父の写真を見たがっていたなと思い出し、数枚撮っておいた。
(この写真については、後ほど、長女さんと末っ子に「ばあちゃんに見せるな!」と叱られた…)。
担架で移動したあたりから、父に声をかけても、ほとんど反応しなくなっていた。
救急隊員さんが父の瞳孔を確認して、左右の瞳孔径に差があると言った。検索して調べたら、瞳孔径の差は、脳出血や脳梗塞などの病気によって引き起こされることがあるのだという。ろれつが回らない状況といい、やっぱり脳でも何が起きているのかもしれない。
父の搬送先が決まり(奇しくも先月の母の搬送先と同じ病院だった…)、救急車が移動を開始しても、父は全く気づく様子がなかった。
20分ほどで、病院に到着。
救急車から降りるとき、車内にいる父に、「おじいちゃん、頑張って」と声をかけたけれども、反応はなかった。
母の時と同じように、救急外来の待合室で2時間ほど待たされてから、診察室に呼ばれて、父の検査結果について聞かされた。
重い肺炎で、胸水が溜まってしまっているため、入院による治療が必要だという。
ほかにもいろいろな説明があったと思うのだけど、最後にされた話のせいで、大半が脳から吹っ飛んだ。
最後の話というのは、延命治療のことだった。
父の年齢的なことも考えると、急に心臓が止まったり、呼吸が止まってしまうということも考えられるけれども、その場合、延命治療を希望するかどうか、家族としての意向を、できれば早めに聞きたいのだという。
なぜ早めに聞きたいかというと…
家族の希望を確認しない状態で、患者が延命治療を必要とする状態に陥った場合、医師としては、延命治療を行わないという選択肢はないのだという。
そして、延命治療というものは、一度始めてしまうと、回復の見込みがなく、家族の重い負担になったとしても、やめるということができない。やめれば殺人となってしまうからだ。
延命治療の性質については私も知っていたけれど、救急車で別れたときの父の様子を思い返せば、生々しい死というものが、否応なしに心に迫ってくる。
これは、私だけでは決められないと思った。
入院中の母に確認を取った上で、今日中に意向を伝えると答えて、診察室を出た。
その後、いくつかの書類にサインをしてから、母の入院先に電話をかけて、病棟の看護師さんに父の事情を伝えたところ、大変に驚かれ同情されで、母を電話口まで連れてきてくれた。
言葉を取り繕っても仕方がないと思い、母には父の現状を包み隠さず伝えて、延命治療について尋ねたところ、「いらない」と即答された。
「おじいちゃんは、もう十分がんばったの。だから、これ以上苦しい思いはさせられない。いつかは来ることだったんだから、受け止めよう」
母ならそう言うだろうとは思っていたし、その言葉を聞いたことで、私も少し息をしやすくなった気がした。
何かあれば病院に連絡を入れるからと言って電話を切り、またしばらく待った。
病院側からは何の説明もなかったけれど、前回の母の入院の時の経緯を覚えているので、そのうち病棟の看護師さんが、父を乗せたストレッチャーを押して、私を迎えにくると分かっている。そのまま一緒に病棟に上がって、また書類にサインをするのだ。
8時前に、「○○さんの、ご家族の方」と呼ばれた。
ストレッチャーの上の父は、とても混乱している様子だった。
病衣に着替えさせられ、鼻に酸素のチューブを取り付けた上に、紙マスクをしていたのだけど、そのマスクとチューブが不愉快であるのか、動きの悪い腕をなんとか顔に持っていき、引っ掻くような仕草でマスクをはずし、鼻のチューブも抜いてしまった。チューブの外れた鼻からは血が滲んでいた。擦れるか乾燥するかして、痛かったのかもしれない。
看護師さんは、父が着ていた衣類を大きなビニール袋に詰めて持ってきていた。父はその袋が気になるのか、しきりに指差しをして、何かを訴えようとするのだけど、唸り声ばかりで言葉にならず、聞き取れない。
やはり入院が不本意で、あるいは状況が分からず不安で、すぐにでも家に帰ると言いたいのではないか。
救急搬送を強行した私に、腹を立てているのかも…
父への申し訳なさで、言葉をかけられずにいるうちに、看護師さんは、サインの必要な書類を私に渡し、何かを指差しながら唸り続ける父のストレッチャーを押して、病棟内に入っていった。
病棟の外の廊下のベンチに座って、渡された書類を読んでいると、iPhoneの着メロが鳴り出した。母の入院先からの電話だったので、あわてて出ると、電話の向こうの看護師さんらしき方が、私以上にあわてているらしいのが伝わってきた。
「あの! 旦那さんの状況をうかがいまして、すぐにでも介護タクシーを呼んで、○○病院さんに車椅子ごと送り届けようかという話になったんですけども、あ、普通のタクシーだと車椅子がダメなんで介護タクシーなんですけども、時間が時間で介護タクシーの予約が不可能ということで、それならば明日の朝一で行こうということになりまして!」
いや、待ってほしい。
目的語がわからない。
車椅子ごと運ぶ? ここに? 誰を?
「あのー、もしかして、うちの母を、車椅子ごと父の病室まで運ぶっていう話で、合ってます?」
「そうです! お一人でお父さんの元にいる娘さんが気掛かりだから、どうしても行きたいとおっしゃっていまして!」
合っていたらしい。
額に手を当てながら数秒考えて、事情を察した。
先ほどの電話で、母に延命治療の意向などを確認したために、母は父が危篤状態だと思い込んでしまったのだろう。
まあ私も薄々そう思っていたし、実際「年齢を考えれば、いつどうなるかわからない」ということは、救急の医師に何度も釘を刺すように言われていた。
けれども、病棟の看護師さんには切迫した様子は全くなく、父が鼻から酸素チューブを外してしまっても、装着し直すわけでもなく、
「あらー、じゃあこれは、こちらで持っておきますねー」
と、のんびりした口調で言うだけだった。
どう見ても、今夜が峠という感じではないし、危篤状態でもない。
ということは、明日の朝一番に母が介護タクシーで駆けつけたとしても、面会時間前だから門前払いになるだけだし、当然私も病院にいない。
電話口の看護師さんに、父の容態が少し落ち着いて、今日明日にどうにかなる感じではなくなったから、私もこの後家に帰るし、母には心配しないように伝えて欲しいとお願いして、電話を切った。
救急外来で聞いた話の内容の大半が脳から吹っ飛んだのは、主に、この母の暴走電話のためである。
ちなみに暴走に巻き込まれた(加担した?)のは、看護師さんだけでなく、母の主治医までが、「みんなで連れていってあげなくちゃ!」となっていたのだと翌日知って、頭を抱えることになる。
きっと、とてもいい病院なのだと思う。
でも、誰にも止められずに朝イチで面会に来てしまった御一行が、時間外入り口でお断りされる場面を想像しただけで、とめどもなく胃が痛くなりそうだから、ほんとに勘弁してほしい。
夜9時ごろ、タクシーで帰宅。
誰もいない実家で過ごすのは、初めてのことだ。
昼に父に作った雑炊や味噌汁が残っていたので、それを晩ご飯にした。
考えなくちゃならないことは山積みだけど、いまできることはほとんどない。
なかなか眠れず、夜の3時ごろに就寝。
(_ _).。o○