こんにちは。
(昨日投稿し忘れた日記)

今日の待ち受け。
なんか怖い。
(_ _).。o○
過去日記を、また少しずつ転載している。
17年前、まだ小学生だった息子の発語の記録。
当時はまだ私も40代で、体力も気力もあったから、毎日全力疾走だった。(そして、燃え尽きた)
次の過去日記は、学校が楽しすぎて、真夜中に登校しようとした息子の話。すっかり忘れていたけど、確かにこんなこともあった。
次の日記も、息子の発語記録。
息子は28歳になった今でも、過去の出来事を語れないけれども、「できました」のような現在完了の文を発話することはできる。それができるようになったのが、11歳の頃だったのだと、日記を読み返して思い出した。
次の日記では、17年前の1月のガザ紛争の報道を見て感じたことを書いている。
学生のころに好きだった、イスラエルの歌手(イエメン系難民だった女性)オフラ・ハザの死因は、日記を書いた当時は分からなかったけど、エイズだったと、今のWikipediaには書いてあった。
次の日記は、12年前、息子が特別支援学校の高等部に在籍していたころの話。知らないうちにPTAの執行部役員に立候補したことになっていて、パニックに陥った話。
あれは確か、アンケートでクラス役員の希望を出すつもりが、うっかり執行部のほうにチェックしてしまい、訂正するのを忘れて放置していたら、息子が自分で学校に持って行って、提出してしまったのだった。
結局、執行部の書記を2年やった。
3人の子どもたちが高校を出るまでの間、合計7回もPTA役員をすることになった。専業主婦だったし、作業自体はたいした負担ではなかったけれども、いろんな意味で「いろんな人」に出会わざるを得ず、かかってくるストレスは、なかなかのものだった。
決して嫌なことばかりではなかったし、得難い経験だったと言えないこともないけど、私には向かない役割だった。
他校との共同イベントで、会長職という立場を利用して不倫しまくってるという噂が鳴り響いている他校の会長さん(男性)が、イベントの手伝いに駆り出されたお母さんたち一人一人を、ねっとりした視線で眺めまわしていたのを目撃した時には、こんな気持ち悪い人、ほんとに実在するんだと呆れた。
末っ子が高校を卒業した時、これで二度とPTA役員にならずに済むかと思うと、心の底から嬉しかったものだ。
記事数は、現時点で2980本。
今年中に4000記事、達成できたらいいな。