こんにちは。
いきなり寒くなった。🥶
さすがにエアコンの暖房を入れるほどではないけれど、足元が冷えるから、床暖房を入れようかどうしようか、迷うところだ。
こういう時こそ、外歩きをして体力を取り戻すべきなのだろうけども、本を読んだりドラマを見たりしていると、それを中断するのが惜しくて、出かけるタイミングを逃してしまう。
それなら読書やドラマであれば、簡単に始められるかというと、そういうわけでもなくて、やり始めるときの敷居の高さはウォーキングと変わらない。時間をかけて散々助走をして、ようやく読み始めたり視聴し始めたりするので、なおさら中断が惜しいのだ。
いま集中して視聴しているのは、大河ドラマ「べらぼう」で、やっと17 話までたどりついたところだ。大晦日までには見終わりたいので、頑張らなくてはならないのだけど、ドラマが毎回きついので、一話見るだけで胸がいっぱいになってしまって、立て続けには見られない。
その上、先日映画「国宝」を見たせいで、主役の蔦重と、国宝の俊ぼんとが、演じている横浜流星つながりで、画面のなかでダブってしまって、おかしな具合にドラマに奥行きが出てしまうので、なおさら心が持っていかれてしまう。
「べらぼう」の蔦重は、俊ぽんとは違って健康だし、情緒も安定している人のようだから、若死にしそうには見えないけれども、降りかかってくる試練は並大抵ではない。何かを手に入れた途端、別の大切なものが掌から滑り落ちてしまうことの繰り返しで、見ている私のほうがめげてしまいそうになる
今日見ていたのは、平賀源内の獄死のところ。
まさかの将軍家お世継ぎにまつわる陰謀がらみでの暗殺だった。
子どものころ、歴史の授業で平賀源内(1728-1780)を習ったとき、どうして発明家が牢屋に入るようなことになったのか、しかも処刑ではなく獄中死ってどういうことなのかと、とても不思議に思ったものだった。
改めて平賀源内という人が、どういう人で、何をしたのか、ネットで少し調べてみた。
生まれは讃岐国で、白石家という武家の家の三男坊。身分は足軽以下だったらしい。
たぶん、ギフテッドと言われるタイプの頭脳の持ち主だったのだろう。
幼少のころから、学問や細工物などに異様な才能を発揮して注目を集めていたものの、身分の低さのために、軽んじられることもあったという。
けれども、なぜか長崎に遊学する機会を得て、海外のさまざまな技術を学び取ったらしい。
その後、大阪などで学んだあと、江戸で本草学や漢学を学び、さらに再び長崎へ行って、鉱山や鉱物などについて学んだという。
学びは節操がないと思えるほど幅広く、けれどもさほど深くはなく、とにかく興味の赴くままに知識を取り入れ、手っ取り早く社会のなかで運用する方法を見つけ出しては、実現しようとしては、技術の浅さから失敗を重ねていったようだ。
「べらぼう」の平賀源内も、序盤で田沼意次の伝手で鉱山開発に関わって失敗し、金をドブに捨てることになった現場の関係者たちに吊し上げられたので、給与の策として炭焼きに転業させたりしていた。
蔦屋重三郎との関わりは、安永三年(1174)、蔦重が改めた「吉原細見」の序文を、福内鬼外のペンネームで書いたことから始まったようだ。
獄死したのは、安永八年(1779)だから、蔦重との付き合いは、たった五年ほどで終わってしまったことになる。
Wikipediaには、源内の死因は破傷風によるものとあったけれど、生存説もあったようで、田沼意次の領地である遠州相良か、故郷の高松藩に匿われて、天寿を全うしたとも言われているらしいけれど、根拠のない俗説とのこと。
ドラマの中で、蔦重も、源内の亡骸のない墓の前で泣きながら、源内が牢から助け出されて生き延びている後日談を考えだして語っていた。本当にそうだったらいいのにと思う。
もしも今の時代に彼らが生まれ変わっていたならと、考えてみる。
才能の赴くままに、さまざまな分野で起業しては、成功したり失敗したりの繰り返しで、なかなか財を蓄えられない源内と、そんな源内をあれやこれやとそそのかし、電子本の原稿をたくさん書かせて売りまくり、ドラマ化や映画化作品を乱発する蔦重。ものすごくリアルに想像できてしまう。
ふと頭の中に、ジェフ・ペソスとか、ホリエモンとかがぷかぷかと浮かんできたけど、なんか違う気がしたから、消去しておいた。
