ずっと気になっていた映画「国宝」を、昨日、末っ子と二人で見てきた。
末っ子の知人によれば、「見終わったあと、あまりにも壮絶な内容を心が消化しきれず、山手線の駅を五駅分を徒歩で帰らなければならなかった」とのこと。
ネトゲの多国籍なチャットでも評判になっていた。
海外での上映も決まっているのだとか。

映画館に着いてみると、6月に公開された映画なのに、ほぼ満席。
観客の年齢層は幅広く、末っ子と同じ大学生くらいの人から、私よりも高齢の方々まで、満遍なく来場していたけれど、ざっと見た感じでは女性のほうが多かったように思う。
歌舞伎役者の物語だという以外の前知識はなかったこともあり、冒頭から終盤まで、美しくも恐ろしい芸の世界に魅入られた人々の人生に、三時間、ただただ圧倒されるばかりだった。
物語は、昭和三十九年の正月、長崎の料亭花丸で起きた、やくざの襲撃事件から始まる。
立花組の組長、権五郎の一人息子、喜久雄は、宴会の余興で歌舞伎の演目である「積恋雪関扉(つもるこい ゆきのせきのと)」の遊女墨染を見事に演じ、たまたま招かれていた歌舞伎役者の花井半次郎が、その底知れない才能に目をとめる。
けれども舞台を終えた喜久雄が相方と二人で化粧を落としていると,宴会場でただごとではない怒号が上がる。その場近くに駆けつけた喜久雄は、父親の元に飛び出そうとするのを半次郎に止められ、惨劇の真っ只中に堂々と立った父親が、自分に「よく見ておけ」と言い残し、撃たれるさまを目撃する。
仇打ちを目論んだ喜久雄だけれど、幸か不幸か父親の仇を討ち取ることはできず、大阪の花井半次郎の元に弟子入りすることになる。
喜久雄の才能は半次郎の息子、俊介を圧倒するほどのものであるけれども、歌舞伎役者の血筋ではなく、極道者の息子である喜久雄は、自らの才能と生まれのために、翻弄され続けることになる。
(_ _).。o○
上映三時間は、本当にあっという間だった。
そこで描かれた五十年分の人生の重さは、確かに山手線五駅分を歩いても、消化できそうになかった。
私も末っ子に「歩いて帰る?」と聞いてみたけど、却下された。
いまの私の体力では一駅歩いただけで遭難しかねないので仕方がないけれど、若い頃だったなら、走って帰ったかもしれない。
一夜明けた今になっても、まだ頭の中に、舞台に狂う彼らの壮絶な姿がある。
もう一度映画館で観たいけれども、二度もあの大画面で見たら、年内に他の作品を観る気力を回復できそうにないので、Kindleで原作小説を読むことにした。
吉田修一「国宝 上 青春篇」「国宝 下 花道篇」
しっとりとした、第三者視点での地の文の語りが、まるでドラマのナレーションのようで、そのまま映画の映像が浮かび上がってきそなくだりもあれば、映画よりもさらに細部の描写を立ち上らせてくることもあり、読み始めてすぐに物語に引き込まれた。
映画では触れられなかった、喜久雄の父親が襲撃された事情や、その後の組のありさま、早くに原爆症で亡くなったという喜久雄の実母のエピソードなど、のちに人間国宝となる彼の人となりを作り上げたものが、丁寧に描かれているようだ。
映画の感動を消化しつつ、ゆっくり読もうと思う。

