こんにちは。
朝7時過ぎに、息子(27歳・重度自閉症)に起こされた。
「おかあさん、おきて!」
息子が生まれて初めて私を「おかあさん」あるいは「おかん」と呼ぶようになったのは、一年半ほど前からだ。
初めて呼ばれた朝、あまりにも自然に「おかん、起きて」と言われたので、はいはい起きるからーとぞんざいに返事をしたものの、事態に気づいてフリーズし…涙が出た。
私が生きている間に、呼んでくれる日が来ればいいと思っていた。そして半ば諦めていた。
その時の気持ちを歌に詠んで某新聞歌壇に送ったら、お二人の選者さんの目に留まり、重選となった。
重度自閉症の子の母親の思いという、社会の中ではマイノリティである者の感情が、広く理解されることもあるのだと知り、救われる思いがした。
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私が新聞歌壇に短歌を(ほんとうに時々)投稿するようになったのは、2016年に起きた、相模原障害者施設殺傷事件の後からだった。これまで選ばれて紙面に掲載された四首のうちの三首が、息子を詠んだものだった。
あの犯人の、言葉も喋れないような重度障害者を殺すことが国のためであるというたぐいの言動と、それに賛同するSNSなどの声の多さに心が闇で塗りつぶされるような思いにかられたのが、きっかけだった。
「かわいそうだから、殺してあげよう」というような、センチメンタリズムを裏打ちとするファシズムに言及し、非難したのは、大江健三郎だったと記憶しているのだけど、どの著作に書かれていたのか、覚えていない。
ただ、そういう一方的なセンチメンタリズムの気持ち悪さに気がついたのは、小学四年くらいの時だった。
通っていたそろばん教室の先生が、教室で飼っていた蟹が弱ってきたのを見て、「こういうのは飼って生かしておいてもかわいそうだから、殺してあげたほうがいいんだ」と言って、有言実行していたのを見て、自分の中の説明のつかない違和感で、気持ち悪くなってしまった。
「かわいそうだから殺す」ということの、たとえようもない気持ちの悪さを、子どもだった私は、飲み込んで消化することができなかった。
その後、自分の親世代の大人たちが、重い病気や障害を持つ子どもたちについて、あたりまえの常識であるかのように「死んだほうが親孝行」「生きていても本人も家族もつらいばかり」と言うのを聞く機会が度重なり、そういう面はあるかもしれないと、つい感じてしまうことの怖さに気がついた。
このひとたちは、自分よりもずっと弱く、苦しんでいるひとたちが死ぬことで、躊躇いなく幸せになれるひとたちなんだなと。そして、自分もうっかり流されて、そちら側に行きかねないのだとも。
そうして共有される「正しい殺意」に抗うことのできる言葉は、なかなか見つからなかった。
もちろん、大人になって、きれいごとばかりでは片付かない問題があるということは十二分に理解したし、実際に自分が難病児と重度障害児の親になってみて、その暮らしの過酷さを知った今となっては、同じ境遇にあるご本人やご家族に、人権などを振りかざして、それでも頑張れ、笑って耐えろとは、とても言えないとも思っている。
でも「かわいそうだから、殺してあげよう」という形で提案される、憎悪も怒りも含まない「正しい殺意」にだけは、心を持った個人が共感してはダメなものだと思っている。
そんなものの正当性を認めてしまえば、私たちのような立場のものは「苦しい」とも「つらい」とも言えなくなる。
だって、「かわいそう」だと世間に思われたら最後、「殺してあげよう」という「正しい殺意」を向けられてしまうのだから。
そんなディストピアなど、認められるはずもない。
そんな風に思う私の、ディストピア顕現へのささやかな抵抗の方法として思いついたのが、短歌だった。なぜ短歌を選んだのか。無名の私の作品がマスメディアに取り上げられる可能性が最も高いのが、短歌だと思ったからだ。
選ばれるような歌は、なかなか詠めないけれども、細々と続けていこうと思う。