こんにちは。
気がつけば、もう五月。
その五月も、残りが三分の二になっている。
なのに、やろうと思っていたことが、ほとんど何もできていない。
健康回復のためのあれこれとか、古文の読解とか、家事とか。ブログもサボりっぱなし。
この「何もやっていない感」が、ものすごいストレスになっている。こんな性分だから、鬱なんか長々と患うんだろうと分かっていても、そうそう自分を変えられるものでもない。
ストレスコーピングのためには、脳内に充満している「何もやってない感」を殲滅する必要がある。
何をやれば、私は「何かをやった」という満足感を得られるのか。
若い頃の私は理想のハードルが高すぎて、ありとあらゆる事を計画して自分に課しては、ことごとく計画倒れで終わらせていた。
この年になって、ダメな自分をそれなりに受け入れることが出来るようになったので、何もかもが当初の理想通りではなくても、「まあいいよね」と思えるようになっている。
それでも、いまの自分はどうにもダメ過ぎて勘弁ならない。ちょっと動いただけで、動悸、息切れ、腹痛。座ってパソコンをいじっていても、集中力が続かない。
読書だけは出来る。寝転がってさえいれば、いっででも読み続けられる。
だけど、いくら読んでも、それが「何かをやった」という満足感には全くつながらない。
でも、読んだ作品のレビューを書けば、私の脳は「やった」と感じるらしくて、ストレスが少し減る。
ブログを書くことができた日も、「何もやってない感」は減る。
映画館で映画を観た日などは、外出で受けた刺激と作品への感動で脳が活性化しているから、ラクにブログ記事が書ける。そして、「何もやってない感」からくるストレスは、一気に減る。
と、ここまで書いていて気がついた。
書いたことは、記憶に残りやすい。
脳内に充満する「何もやってない感」は、「やった」という実感を、次から次へと忘却しているからなのではないか。
「何もやっていない」と言っても、本当に無為不動のまま暮らしているわけじゃない。息切れして長くは続かなくても、それなりに動いてはいる。家事はやるし、会話もするし、健康に留意もするし、いろいろなことを考えてもいる。
そうした生活の実感を取りこぼさないようにしていれば、「何もやってない感」から解放されるのではないか。
そうであるとすれば、私にとって、ストレスコーピングの手段として何よりも有効なのは、書くことであるのは明らかだ。
何がなんでも、一日に一回はブログを書く。
まずは、そこからだろう。
(_ _).。o○
今日やったことのメモ。✍️
朝からずっとお腹の調子が悪くて、外出できず、横になっている時間が長かった。
朝食は取れなかった。
昼食はパスタ。
夕食は、とんかつ(冷凍)、ポテトサラダ、味噌汁、みかん。
Apple ミュージックで、矢野顕子と上原ひろみの曲を聞いた。「ラーメン食べたい」とか。
春夏もののワンピースかジャンスカが欲しいなあと思って、Amazonなどを眺めていたけど、ピンとくるものが見つけられず、保留。
その流れで、Pinterestでファッション関連の画像を流し見していたら、おかしなものがたくさんあった。
蠅?
不潔とは感じないけど、素敵だとも思えない。
デザイナーさんの意図を聞いてみたい。