湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記(4月28日)

こんにちは。

 

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この数日の備忘録。

 

先週火曜日(4月22日)は、内科の受診だった。

糖尿病関連については、前回の血液検査の結果、「インシュリンが、いい感じに出ている」とのことで、栄養士さんとの面談を通して、このまま食事を気をつけて様子を見ていこうということになった。

 

木曜日(4月24日)は、教会の聖書の講読会に参加し、新約聖書の「フィリピ人への手紙」の一部を教えていただいた。

 

土曜日(4月26日)は精神科外来だった。

近頃は、できるだけ車で行かずに、路線バスやコミュニティバスを利用するようにしている。

 

そして毎度、降りるバス停を間違える。(´・ω・`)

 

私の不注意が原因なのは確かだけど、似たような名前のバス停が多いのも一因だと思う。

 

「⚪︎⚪︎一丁目」

「⚪︎⚪︎南一丁目」

「⚪︎⚪︎南二丁目」

「⚪︎⚪︎南小学校」

「⚪︎⚪︎橋」

「⚪︎⚪︎記念館」

 

この「⚪︎⚪︎」が、全部同じなのだ。

もうちょっと、どうにかならなかったのか。

 

まあ、バス停を間違えるとウォーキングの距離が否応なしに増えるので、悪いことばかりでもない。

 

睡眠障害と鬱については、それぞれ低空飛行ながらも現状維持できているので、このまま様子を見ることになった。

 

日曜日(4月27日)は、午前中、教会学校に参加。旧約聖書の「ヨブ記」冒頭のお話だった。

 

ヨブという、極めて信心深く正しい人物が、神の許しを得た悪魔によって酷い苦しみを与えられ、その信仰を試される。

 

十人もいたヨブの子どもは皆殺されてしまい、財産も全て奪われた上に、全身を重篤な皮膚病に冒されても、ヨブは神を恨まず、揺るぎない信仰を持ち続ける。

 

教会の礼拝で行われる「主の祈り」の文言の中に、「我らを試みに遭わせず、悪より救いいだしたまえ」とある、「試み」というのは、ヨブが被ったような、悪魔由来の理不尽かつ回避不可能な苦難のことをいうのであるらしい。

 

そうした究極の苦難の中にあり、神の救いを全く感じられない状態であっても、信仰を保ち続けるというのは、たいていの人間にはできないことだと思う。ヨブの妻でさえ、夫のあまりにも悲惨な苦しみを見かねて、「神を呪って死になさい」と言ったほどだ。

 

それでもヨブの信仰は全く揺るがない。

その結果、どうなったのか。

続きのお話は次回。

 

一応、ヨブ記は通して読んだことがあるのだけど、かなり難解で、すっと頭に入るような内容ではない。

 

とくに、ヨブを見舞いに来た友人たちとの議論が、かなり長い。というか、ものすごくくどい。友人たちは、ヨブが悪いことをしたから苦難に遭っているのではないかと、延々と疑い、罪を認めて神に許しをこうように迫る。けれどもヨブは反発する。

 

理不尽に子どもと財産を失って病気になったのが、全て自分のせいだと言われても、そりゃあ納得できるはずがない。

 

最終的には、神が登場して、ヨブの正しさを示し、友人たちにはダメ出しをする。その後、ヨブには失った子どもたちと同じ数の子が生まれ、元の財産以上のものを取り戻して、百四十歳まで生きたという。

 

ヨブ記の解釈には色々あって、批判もあるとのことだけど、確かに人間側にしてみればキツい話なので、受け入れにくいところではあると思う。神という存在は、人の悲しみや肉体的苦痛には、あまり頓着しないし、そもそも生きている人間の感覚では到底理解できない視点や価値観をお持ちであるので、神に与えられた理不尽に、人間が合理的理由を見出そうとして、不幸を勧善懲悪に当てはめても無駄なんだろうと思う。

 

それにしても、ヨブを苦しめた実行犯の悪魔はその後どうなったのか。特にペナルティもなかったのだろうか。

 

 

 

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