こんにちは。
家の中が肌寒い。
外は曇り空のようだ。
今日はまだウォーキングに出ていない。
もう少ししたら、歩きに行こう。ドラクエウォークのキャラたちを育てないと。
(_ _).。o○
マンションの補修工事で、ベランダ外の足場をに作業の人が行き来するから、日中もずっとカーテンを閉め切っている。
今のマンションに入居したのは、2001年の春。
長女さんが幼稚園に、息子が就学前の障害児のための通所施設に、それぞれ入園した年だった。
その引越しの準備作業中、ひどい動悸と息切れに襲われるようになり、不整脈も出て、体重が一気に20キロも落ちてしまった。
引越しが終わってすぐ、手伝いに来てくれた実家の両親に手を引かれるようにして病院に行き、バセドウ病と診断された。
バセドウ病というと、眼球が飛び出す症状があるものだと思っていたけど、私の目玉は飛び出すようなことがなかったので、病名を聞いて驚いた。
その後は、バセドウ病の治療薬であるチウラジールと、心不全などを予防する薬を処方されて経過を見ていたけれど、あまり改善しないというので、チウラジールからメルカゾールという薬に変更になった。
メルカゾールはチウラジールよりもよく効くけれど、まれに重篤な副作用を引き起こす場合があり、死亡に至る例もあるという。
その稀な副作用である「無顆粒球症」というのを、私は引き当ててしまった。
あの凄惨な同時多発テロの報道をテレビで見続けていたことも、少しは影響したのではないかと思っている。どう考えても免疫低下を促進する報道だった。
喉の痛みなどの軽い風邪の症状が出たと思ったら、ほんの数時間で途轍もなく具合が悪くなったので、メルカゾールの副作用を疑ってすぐに病院に行ったのだけど、いつも診察してくれていた内分泌の専門医が休診で、代診の若い男の医師が血液検査を結果を見て、
「白血球の数は少なめだけど、問題ないでしょう」
と言い、そのまま帰されてしまった。
その後、病状は一晩で悪化。割れるような頭痛と高熱、腫れた喉からは血が滲み、咳と痰で声も出せないほどになってしまい、これではタクシーを呼んでも行き先も伝えられないと思って、自分で運転して病院に行ったものの(今思うと無謀すぎた)、待合室で倒れ、そのまま入院させられた。
その後のことは、あまりよく覚えていない。
高齢の院長先生が枕元に来て、痛ましそうな顔でこちらを見つめていたことと、その息子さんの副院長先生が、看護師さんたちとベッド脇で円陣を組んで、
「精一杯やりましょう。ファイっ、オー!」
と声を上げたけど、看護師さんたちはノリの悪い、気まずそうな顔をしているのを、夢うつつに見ていた記憶がある。
その頃、病院に駆けつけた亭主は、ナースセンターで看護師さんに「奥さん、まだお若いのに…」と、お悔やみを言われていたという。まだギリギリ三十代だった。
無顆粒球症は、好中球という白血球が、ほとんど消滅してしまい、細菌や真菌への抵抗力を失ってしまう状態のことだ。
血液1マイクロミリリットルに、最低でも3000個は好中球がなくてはならないのに、その時の私の好中球は、たった19個しかなかったのだと、後から聞いた。
好中球が消えた人間は、何も手を施されなければ、おそらく何日も生きられないと思う。
入院した日の夜、気がつくと、個室に隔離され、頭の上に樽のように大きな点滴の薬液の容器が、何個もぶら下がっていた。何種類かの抗生剤と、栄養点滴だったらしい。
全身が痛んで気絶するのだけど、痛みで直ぐに目が覚める。それを延々と繰り返すうちに、あれ、もしかしたらこのまま死ぬのかも、と思ってヒヤリとしたけれど、なんとなく、まだ大丈夫かもと思ったりもした。
樽レベルで投与された抗生剤のおかげで、しぶとくご臨終を回避できた後に待っていたのは、途轍もなく痛い筋肉注射責めだった。
入院初日に、痛ましげな顔で見舞ってくださった院長先生が、輝くように明るい笑顔で病室にやってきて、「いい薬があったんですよ」とおっしゃたのだけど、腕の筋肉に打たれるたびに絶叫号泣したくなるほどの痛みがあり、しかもそれが半日続くので、看護師さんに静脈注射に変えてくれないかと涙目で懇願したけど、筋肉のほうが効果が高いからと却下されたときは、本気で病院からの脱走を考えたくなった。子どもの頃から病弱で、注射など慣れっこで泣いたこともなかったのに、あの痛みだけは今思い出しても寒気がする。
そういえばあの注射、一本何万円もするとか聞いた気がする。連日容赦なく打たれてたけど、総額どれほどかかったのだろう。入院中は、子どもたちの世話などで、それぞれの実家の両親にも面倒をたくさんかけた。今更ながら、家族に感謝だ。
この入院中、亭主が病室に差し入れてくれた本は、たぶんいろいろあったのだろうけど、今も記憶しているのは 「美食倶楽部バカゲー専科」だけだ。
笑うことで白血球が増えて免疫が上がるという知識があったので、とにかく笑える本を求めていたのだ。
超痛い筋肉注射と、家族の支え、そして学生の頃から遊び倒したゲームの思い出が、私の好中球と人生を助けてくれたのだと思う。
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朝ごはんは、昨日のカレーの残り。
お昼ご飯は、亭主が作ってくれたカレーうどん。美味しかった。