こんにちは。
今朝も息子(27歳・重度自閉症)に起こされた。
「おかん、顔!」
翻訳すると、
「お母んよ、顔についてる睡眠時無呼吸症候群の呼吸器(CPAP)のマスクをとっとと外して、人並みの生活を営むべく活動しろ」
となる。
普段、息子が容赦なく叩き起こすのは私だけなのだけど、末っ子と私が実家帰省していた時は、
「メガネ!」
と叫んで、亭主を叩き起こしたという。翻訳すると、
「父よ、とっとと起きて、愛用の老眼鏡をかけて朝の支度をするように」
となる。
起床を促す際に、相手の顔に装着するものを取り立てて指示するというのは、息子が独自に編み出した命令表現だ。息子なりに、日常生活の中の法則性を観察して、最も妥当だと思える表現を選んだ結果、そうなったのだろう。
人が新たな行動を起こすときには、身体に装着する物や所持品が変化するというのは、息子がまだ幼いころに生活の中で見出した法則だ。
たとえば、出かける時には、各自が所有するカバンを持つとか。
寝る時には、靴下を脱ぐとか。(うっかり履いたまま寝ていると、息子に脱がされる)
そういえば、末っ子が乳児だった頃、抱いてあやしていると、息子(7歳)がゲーム機のコントローラーを私に持たせに来たものだった。
末っ子は夜泣きが多くて、私が抱いていないと全く寝ない赤ん坊だったので、うっかり寝落ちしないようにゲームなどしながら徹夜で抱いて過ごすことが多かったのだけど、それを見ていた息子が、
「夜、お母んが妹を抱っこするときには、必ずプレステのコントローラーを持つ」
という法則性を読み取ってしまった結果だった。
同時に、
「妹が泣いた時には、お母んのおっぱいを妹の顔に装着させねばならない」
という法則をも見出した息子は、泣き喚く末っ子の顔に私のブラジャーを持っていって、末っ子の不興を買っていた。
揺るぎない儀式行動と融通の効かなさで世に知られる自閉症児だけれど、「おっぱい」を「ブラジャー」にシフトするあたりに、自閉症らしからぬ息子独特の大雑把さとテキトーさを感じて、やっぱり私の息子だなと感じ入ったものだった。
(_ _).。o○
今日の予定。
息子は福祉サービスでおでかけ。
グループホームで暮らす長女さんは、午後から囲碁クラブのはず。
末っ子は「予定なし」と言っていたから、昼まで寝ているだろう。
そういえば、行きつけのショッピングモール内に、大きな手芸屋さんが開店したらしい。末っ子が行きたがっていたから、便乗して出かけようかな。ドラクエウォークのレベリングをしないと。
それと、今日は久々に古典を読みたい。
和歌を一首。できれば枕草子も。