こんにちは。
今日の積読本撮影は、ロバート・キャンベル編著「日本古典と感染症」(角川文庫)。
品田悦一氏の「『万葉集』と天平の天然痘大流行」をチラ見していて、気になったところを少し引用する。
伝染病予防法が廃止されてから「伝染病」という語自体が死語になったのだそうで、本書のタイトルにも「感染症」が使用されている。
エイズなど、従来の伝染病概念では律しきれない病気にも対処するための改称らしいが、それにしても、「病」を避けて「症」と称する理由が分からない。「症」とは症状、つまり病気の兆候のことで、病気そのものをいう語ではないではないか。感染「症」と聞くと、伝染「病」ほど恐ろしくないような気がしてしまうのは私だけだろうか。
「病」より「症」のほうが恐ろしくないという語感が一般的なものかどうかは分からないけれど、「病」を避けて「症」と称する理由ならば想像がつかないこともない。
我が家で最も存在感の重い「症」は「自閉症」だけれども、「自閉症」は深刻な症状があっても、それを引き起こしている根本原因が明らかではなく、また多岐に渡っている可能性もあるため、便宜上、「症」としてまとめ置かれているものだと、私は理解している。
感染症の場合も、根本原因(病原体)と症状とを緊密に結びつけないほうが都合がいいというような事情があって、「病」を避けているのかもしれないと想像する。
「新型コロナウィルス感染症」の場合も、新型コロナウィルスに感染した人が全員重篤な症状に陥るわけではなく、うちの息子のように、ほぼ無症状で終わる人も少なくなかったと聞く。また出る症状も人によっていろいろで、私のように肺炎で酷い目にあい、数ヶ月も重い咳や後遺症に苦しむ人もいれば、一時的な味覚障害だけという人もいる。
原因となるウィルスは共通していても、そのウィルスを狙って駆逐するような薬剤が存在しなかった時期においては、一つの「病」としてまとめるのではなく、個々の「症」に柔軟に対応するという臨床的な立場からも、「感染症」としたほうが相応しいと考えられたのではなかろうか。
もっとも、コロナの場合はともかく、「自閉症」については、便宜上まとめ置かれているといっても、本当にそれが便宜的なまとめとして理にかなっているのかどうかは、怪しいとも思っている。
うちの長女さんと息子は、「自閉スペクトラム症」という診断名は同じでも、抱えている「症」はまるで違っている。長女さんは一人で行動して社会生活が営めているけれど、息子は生活全般に介助を必要としている。病院で処方されている薬も、同じものは一つもない。
ここまで違うのだから、もはや別の名称で括ってもいいのではないかと思わなくもないけれど、いまのところ、そう思う専門家が少ないのか、まとめ置かれたままになっている。
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今日のぬいぐるみ。
ジュラシックパークの恐竜さん。MADE IN CHINA。いつ買ったのか、全く記憶にない。たぶん子どもたちが小さかったころだろうけれど、子どもたちが遊んでいたのを見た記憶もなく、ずっとクローゼットの中にしまわれていた。
恐竜だけど、愛嬌があって、恐くない。