湯飲みの横に防水機能のない日記

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秋風の音は鎮魂の奏楽…後撰和歌集、よみびとしらずの歌

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よみびとしらず

 

風のおとの限りと秋やせめつらむ吹きくるごとに声のわびしき

 

(かぜのおとの かぎりとあきや せめつらむ ふきくるごとに こえのわびしき)

 

後撰和歌集 巻第七 秋下 421

 

【語釈】

かぎり…時間的な限界。最後。臨終。

せむ…責める。せきたてる。強要する。

わびし…つらい、やりきれない。もの寂しい、心細い。

こゑ…響き。

 

【普通の意訳】

 

終わりの近づいている秋が、風の音を極限まで高めているのだろうか。吹いてくるたびに、心細さが増していくよ。

 

……

 

「吹きくる」に笛を吹く意を、「ごとに」に琴の意を掛けているという説があるという。

 

また、「せむ」には、楽器などの音を高くする意味の「迫む」をかけているという。 (以上、やまとうたeブックス「後撰和歌集」の解説による)

 

そうだとすると、歌人は、晩秋に吹き荒れる風の音を、楽器の協奏に見立てていることになる。

 

【少し怪しい意訳】

 

また一つ、季節の死が間近に迫ってきたようだ。

 

風の音が、断末魔の叫びのように、どこまでも悲痛な響きを強めていく。

 

終わりゆく秋自身が奏でる、鎮魂の調べであるかのように。

 

我々は皆、滅びを抱えて生きている。

輝かしき御世も、人の命も。

全てが、いつかは終わりを迎える。

 

愛しくかけがえのないものたちも、それを守りたいと切望する自分自身も、風に散る枯葉のようにあっけなくこの世から消え去っていくことだろう。

 

やがて新しくあたたかな季節の訪れがあるのだとしても、いま、それが何の慰めになるというのか。

 

生きることは、儚く、寂しい。

だからこそ私たちは、心の限りに歌い、奏でるのだろう。

 

この晩秋の風のように。

 

 

(_ _).。o○

 

後撰和歌集の英訳がないので、【怪しい意訳】をgoogle様に英訳してもらったものを、AIイラスト化してみた。

 

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和の要素が微塵も出てこないのは、意訳が原因だろうけれど、とにかく陰惨な画風になるのは、もはやAIが、私の好みがそちら系だと判断しているとしか思えない。

 

外れてはいないけど、たまには違う景色も見てみたいような…

 

次回に期待しよう。

 

 

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