まず、前日(9月20日)の戦果(歩数)。
頑張って、3000台を維持できた。
家の中での悪魔執事15分ウォーキングも、リタイアせずに完遂できるようになった。水、木、金と、3日間の3000歩維持で、腰痛が軽減したということでもある。
ウォーキングは偉大だと、実感した。
逆に、歩かずにいたら、寿命はどんどん減るだろうということも、痛感した。
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今日(9月21日)は、少し寝坊して、七時半過ぎに起きた。
疲れが残っているので、午後からの通院に備えて、午前中は休養。
お昼ごはんは、ピラフ。
お昼過ぎ、長女さんが午後一時からの囲碁クラブに参加する前に、家に寄ってお茶を飲んで行った。
一時半、通院のため外出。
予約は二時だけど、診察が回ってきたのは三時半過ぎ。
待っている間は、本を読んでいた。
猪瀬浩平「野生のしっそう 障害、兄、そして人類学とともに」ミシマ社
読みながら、いろいろな思いが湧いてきて、胸が苦しくなる。
相模原の事件のこと、新型コロナ禍の最中に開催された東京オリンピックのこと、パラリンピックの聖火を惨劇のあった「やまゆり園」で採火しようとしたことに対して遺族の反対があったこと(知らなかったけど、そりゃ反対されるでしょう…)。
息子が特別支援学校にいた時、運動会でリレー競技に選抜された生徒たちを見た保護者の方が、なんとも言えない表情で、
「彼らは、"選ばれし者たち"だよね」
と言っていたのを思い出す。
知的障害が重い生徒たちは、身体的なハンディが無くても、伴走者なしでゴールまで走り切ることや、バトンを落とさずに持ち続けることが、とても難しい。
リレー競技で活躍する、ほんの一握りの生徒たちが、私の目には光り輝くエリートに見えたものだ。
あの子たちの多くは、卒業後、一般就労したと思う。みんな、元気にしているといいな…
息子はというと、入場行進でも徒競走でもダンスでも、介助役の先生が一人、黒子のようにぴったりと付き添って、時には手取り足取りしていただきながら、なんとか参加できていた。
それでも、途中で止まらずにゴールできたり、ダンスの動きを上半身だけでもできた時には、本当に嬉しくて、拍手と声援を惜しまなかったし、帰宅してから盛大に褒めた。
凄惨な事件のあった施設での聖火イベントを企画した側の人たちは、遺族の方々がなぜ反対するのか、あまり理解できなかっただろうと思う。
話すことも抵抗することも「できない」という理由で殺戮者に"選ばれて"しまった方々の最後の地。
そこを、世界に通用するほどに優れた技能を持つ、"選ばれし方々"が活躍する祭典の聖火を採る場に選ぶという発想。
世の中の多くの方々は、この取り合わせに、さほどの違和感を抱かないのかもしれないけれど…
かつてそこにあり、無惨に消されてしまった、かそけき命の残光を、聖火のような強烈な光を無神経に持ち込むことで、消しとばさないでほしい。
走れず、喋れず、それでも慈しまれて人生を歩んできた我が子に向けた、ご家族の精一杯の声援と拍手を、オリンピックの騒音に埋もれさせないでほしい。
私なら、そう思う。
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晩ご飯は、チリコンカン、ブロッコリーのサラダ、冬瓜の煮物、ごはん、みかん寒天。亭主作。美味。
冬瓜は、近所のお店で「ご自由にお持ち下さい」と、配っていたものだとか。たぶん家庭菜園で大豊作だったのだろう。ありがたいことだ。