こんにちは。
昨日の日記。
ネットニュースで、小泉進次郎氏に、知的レベルの低さを問うたジャーナリストの話を読んだ。
とんでもなく失礼な質問だと呆れたけれども、それで小泉氏から人間味を感じられる応答を引き出したのだから、結果的に、小泉氏にそれほどの不利益はなかったのかもしれない。
そもそも、総理大臣に求められる知的レベルとは、どういうものなのか。
たしか、「云々」を「でんでん」と読みあげておられた総理大臣もいらした気がするのだけども。
アメリカには、愛読書が「はらぺこあおむし」だと公言していた大統領もいらっしゃったと記憶している。
大失言王として知られていた、その大統領も、知的レベルについて取り沙汰されたこともあったようで、
「私の知能が低いと思っている人々は、その事実をまだ甘く見ている」
という、空恐ろしい自爆発言を残しているのだとか。
これと比較すれば、小泉進次郎氏の環境問題セクシー発言の衝撃度など、まだささやかなもののように思えてくる。
「政治には非常に多くの問題があり、時には退屈です。気候変動のような大規模な問題に取り組むとき、それは楽しくなければならず、クールでなければなりません。それもセクシーでなければなりません」
意味は分からないけど、言いたいことはなんとなく分からなくもない。
実際、政策を主導する政治家がセクシー(?)で魅力的であれば、その政治家を政策ごと推す人は、大幅に増えるのだろうから。
そう考えると、政治家に必要なのは、失言しない高い知能よりも、人に推されるセクシーさ(魅力)であるのかもしれない。
などという話を食事時に亭主としていて、ふと気になったことを聞いてみた。
「とーちゃんとこの学生たちの知的レベルって、ざっくり、どんな感じなの?」
「おそらく『云々』を『うんぬん』と読めるやつは少ないと思う」
「偏差値60超えの文学部の学生なのに?」
「うむ。そもそもあいつら、知識を問われて試されることを、ものすごく嫌うんや。『お前ら、これ知っとるか?』と聞いただけで、ものすごい嫌な顔をする」
「なんで?」
「知らないことが露見するのを、極端に恥じるからやな」
「知らないことは、その場で覚えればいいじゃん。授業なんだし」
「なぜか、そういう方向に行かんのや」
「知る努力をせず、無知を隠して取り繕うと」
「うむ」
「それって、未来の老害予備軍じゃん。30年後に職場で『使えねーのに威張りくさるジジババ』って、部下に憎まれることになるんじゃない?」
「なるやろな」
「気の毒だから、在学中になんとかしてやって」
「まあ努力はする」
がんばれ大学生。