湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

山岸涼子「レベレーション」を読み始める(リハビリ読書)

八月中、風邪のせいで脳が劣化して(ブレインフォグだったかも)、まともに本が読めなかった。

 

昨日あたりから、多少は活字の内容が頭に入るようになってきたので、ようやく読書再開。

 

といっても、マンガとラノベだけれども。

 

病中病後のお粥みたいな感じで、ゆるりと読もう。

 

山岸涼子「レベレーション」(1)

 

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作者様が、この作品が人生最後の長編だとおっしゃっているとネット記事で見かけたので、前知識ゼロの状態で読んでみようと思い立った。

 

表紙の異様に目力の強い女性は、ジャンヌ・ダルク。彼女が主人公であることも知らずに読み始めた。

 

ジャンヌ・ダルクは、百年戦争末期に出現して歴史を大きく動かし、十九歳で火刑で亡くなった人。私が知ってるのはその程度。

 

ヨーロッパ史は全くダメなので、作品を読みながら、ネット検索で情報を補強したけど、ほぼ焼石に水状態。知らないことが多すぎた。😱

 

めげずに学習。(´・ω・`)

 

まず百年戦争

ずっとイギリスとフランスの戦争だと思ってたけど、ちょっと違った。

 

当時、国家という概念がはっきりしていなかったため、二国間の戦争というよりも、隣り合って広大な領地を持つ封建諸侯の争いという感じだったらしい。日本だと鎌倉時代以降、とくに室町時代のドロドロ具合を連想する。

 

まず1328年、フランスのカペー朝の王だったシャルル4世が、男子の後継者のいないまま死去したことからゴタゴタが始まる。

 

シャルル4世の従兄弟であるフィリップ6世が後を継いだものの、フィリップ4世の妹を母に持つイングランドエドワード3世が継承権を主張。

 

その後、領地問題などで完全に決裂したため、エドワード3世はフィリップ6世のフランス王位を僭称であるとして、自らがフランス王位を継承したと宣言した。

 

その後いろいろあって…(省略)

 

1380年、シャルル5世が亡くなり、息子のシャルル6世が、11歳でフランス王位を継承。

 

けれども二十代半ばで重篤な精神病を発症し、狂気王と呼ばれるようになる。

 

「レベレーション」では、作者様がシャルル6世の症状を、幼少期から戦争の惨劇を目の当たりにし続けたためのPTSDではないかと推測していたけど、Wikipediaは、母の血筋から遺伝した可能性があると記している。

 

どちらであるかは分からないけれども、11歳の子どもが精神を健全に保って成人できるような境遇でなかったことは間違いない。

 

シャルル6世が最初に異常をきたしたのは1392年だったという。

 

「レベレーション」では、小姓の兜に槍が当たって「カキーン」と鋭い金属音がしたことをきっかけに、シャルル6世が小姓や部下を数名切り捨て、人事不詳に陥ったエピソードが、あの山岸作品独特の枯れたグロテスクさで描写されている。

 

1412年頃にドンレミ村で生まれたジャンヌ・ダルクは、13歳ぐらいの頃に、初めて神の啓示を得たらしい。

 

当時のフランスは、ブルゴーニュ派とアルマニャック派に別れて争っていた。

 

狡猾なブルゴーニュ公ジャン1世は、1407年、王弟であるオルレアン公ルイを暗殺して、それを公言。仲介しようとしたイザボー王妃(狂気王シャルル6世の後妻)を自派に引き込み(不倫関係だったとも言われる)、王太子のシャルル7世の後見人におさまってしまう。

 

それに怒ったアルマニャック伯がブルゴーニュ派との対立を表明。

 

両派はそれぞれイングランドに支援を求めたが、勝ち馬に乗って美味しいところを持っていきたいイングランドは、優位なブルゴーニュ派に加勢する。

 

ところがイングランドに政変が起きて、あろうことか対立していたアルマニャック側を支援するようになる。

 

その後、泥沼状態が続き、イングランドが大陸に勢力を伸ばしてきたことを警戒したブルゴーニュ派は、アルマニャック派と和睦しようとしたものの、王太子(のちのシャルル7世)が、自分の後見だったはずのブルゴーニュ公ジャン1世を殺害してしまう(1419年)。

 

ジャンヌの暮らすドンレミ村は、アルマニャック派に従っていたけれど、傭兵くずれや野盗が近隣の村を襲う事件が起きており、住民の生活は不安定だった。

 

「レベレーション」では、ドンレミ村が野盗に火をかけられて、ジャンヌの家も全焼したため、母とジャンヌが姉の嫁ぎ先であるヴィテルの町に避難している。ヴィテルはブルゴーニュ派が強く、姉の夫の一家もブルゴーニュ派のお偉方に阿ってもてなしていた。

 

そのもてなしの席で、イザボー王妃の産んだ王太子(シャルル7世)が、シャルル6世の実の息子ではなく不倫の子であると語られているのを、ジャンヌが耳にし、その不正義に憤る。

 

さらにジャンヌは、ブルゴーニュ派がイギリスのヘンリー6世を支持することに、強い疑問を抱く。なぜフランス人がイギリスの味方をするのかと。

 

国家という意識がまだ薄い封建社会で、国のアイデンティティをいち早く意識したのがジャンヌ・ダルクであったということを、作者様は「レベレーション」の中で印象付けたかったのかもしれない。

 

そうした状況にあって、ジャンヌは何度も「啓示」を受けることになる。

 

最初は、教会の上空に輝く異様な光によって、

 

「汝 善ことのみ行い 教会へ繁く通え」

 

と言われる。

 

次には、ドンレミ村が襲撃後に復興しつつある頃に、空に浮き上がった四白眼の不気味な目と、その周囲の翼を目撃し、ランスへ行けという言葉を受ける。

 

目と言うか、顔の周りに翼があるのは、聖書に出てくる智天使ケルビム、あるいは熾天使セラフィムだとされていて、絵画にも描かれている。

 

ただ、聖書の記述を読むと、ケルビムもセラフィム(セラピム)も、映像化することが相当難しそうに思える。

 

ウジヤ王の死んだ年 、わたしは主が高くあげられたみくらに座し 、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た 。

 

その上にセラピムが立ち 、おのおの六つの翼をもっていた 。その二つをもって顔をおおい 、二つをもって足をおおい 、二つをもって飛びかけり 、互に呼びかわして言った 。

 

イザヤ書 第6章 1-3節

 

セラピムは、顔と足を羽で隠していたという。

腹は出していたのだろうか。よく分からない。

 

ケルビムのほうは、さらにわかりにくい。

 

わたしが見ていると 、見よ 、ケルビムのかたわらに四つの輪があり 、一つの輪はひとりのケルブのかたわらに 、他の輪は他のケルブのかたわらにあった 。

 

輪のさまは 、光る貴かんらん石のようであった 。そのさまは四つとも同じ形で 、あたかも輪の中に輪があるようであった。

 

その行く時は四方のどこへでも行く 。その行く時は回らない 。ただ先頭の輪の向くところに従い 、その行く時は回ることをしない 。

 

その輪縁 、その輻 、および輪には 、まわりに目が満ちていた 。─その輪は四つともこれを持っていた 。

 

その輪はわたしの聞いている所で 、 「回る輪 」と呼ばれた 。

 

そのおのおのには四つの顔があった 。第一の顔はケルブの顔 、第二の顔は人の顔 、第三はししの顔 、第四はわしの顔であった。

 

(中略)

 

これがすなわちわたしがケバル川のほとりで 、イスラエルの神の下に見たかの生きものである 。わたしはそれがケルビムであることを知っていた 。

 

これにはおのおの四つの顔があり 、おのおの四つの翼があり 、また人の手のようなものがその翼の下にあった。

 

エゼキエル書 第10章 9-14、20-22節
 

 

翼四枚、顔四つ。

光輝く目玉だらけの輪っか付き。

 

こんなのが目の前に現れたら、気絶する自信がある。

 

アダムとイブをエデンの園から追い出したあと、神は、ケルビムをセキュリティ要員として配置している。

 

神は人を追い出し 、エデンの園の東に 、ケルビムと 、回る炎のつるぎとを置いて 、命の木の道を守らせられた。

 

創世記 第3章 24節

 

エデンへの不法侵入を試みるものがいたとしても、ケルビムを見た途端、回れ右して逃げたに違いない。目玉だらけの輪っかとか、怖すぎる。

 

 

姉のカトリーヌが夫のDVで殺害されたあと、ジャンヌは、地震のような波動とともに、天を舞う天使の姿を見る。

 

その天使ははっきりと、

 

「フランスへ行け 王を助けよ」

 

とジャンヌに告げた。この天使は、衣の下に鎧を着ていたらしい。

 

その後また天使は現れ、「ラ・ピュセル ジャンヌ」と言うと、天に登っていった。その啓示を受けている間、兄のピエールがジャンヌの肩をつかんでゆすっても、目に何も映さず、全くびくともしなかったという。

 

ドンレミ村の司祭は、ジャンヌの言動などから、彼女が本当に聖書に書かれている天使と出会った可能性に気づくけれども、彼女がお告げに従うことをよしとせず、思いとどまるように強く勧める。

 

司祭は、かつて似たような啓示を受けた聖職者が破滅していったことを知っており、また、また先輩の修道士に、そうした神秘体験に囚われるべきではないと諭されたことがあったのだ。

 

けれどもジャンヌは司祭の言葉を振り切り、お告げにしたがって村を出てしまう。

 

………

 

ジャンヌは、なぜお告げを信じたのだろう。

 

子どもの頃から信心深い性格ではあったけれども、ドンレミ村を出るまでの間、神はジャンヌの願いを一つも叶えていない。家は野盗に焼かれ、愛する姉の危難を察して無事を祈ってもDV男に殺されてしまう。

 

けれどもそうした個人的な不幸は、ジャンヌの心に神への疑念をもたらさず、むしろ、結婚や出産という、女としての当たり前の人生を拒否する方向へと走らせる。

 

「レベレーション」は、全てが終わって処刑を待つジャンヌが、心の中で過去を振り返るという形で始まっている。

 

火刑の直前まで、ジャンヌは自分が解放されることを信じていた。けれども解放は実現せず、神の 啓示もないまま、ジャンヌは刑場に送られる。

 

ジャンヌに救いはあるのだろうか。