Kindle Unlimitedのオススメに、いわゆるラノベ系ではなさそうなレーベルの小説が出ていたので、読んでみたら、当たりだった。
萩原規子「空色勾玉」徳間文庫
萩原規子作品を読むのは、たぶん初めてだと思う。「西の善き魔女」など、気になるタイトルはあったけど、そのうち読もうと思いながら、何年もたってしまった。
本作は日本の神話をベースにした、ファンタジー作品。1988年に刊行されたとのこと。
1988年当時、私はまだ学生で(大学院の博士課程の入試に落っこちて、バイトしながら研究生をしていた…)、海外のSFやファンタジー小説は好んで読んでいたけれど、日本の作家の作品はあまり触れる機会がなかった。
あのころに読んでいたなら、きっと、この作家さんに大ハマりしただろうと思う。
本との出会いは一期一会。
だいぶ遅くなったけれも、読む機会を得られて幸運だった。Kindle Unlimited(読み放題)に感謝。
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「空色勾玉」には、イザナギとイザナミ、アマテラス、ツクヨミ、スサノオに相当すると思われる神々が出てくるけれども、性格や行動は、神話とはだいぶ異なっている。
夫婦神だった輝(かぐ)の大御神(イザナギ)と、闇(くら)の大御神(イザナミ)は、闇の大御神の死後、あの世で大喧嘩をした挙句、長年に渡って配下の人間たちに戦争をさせている。
物語の主人公の狭也(さや)は、輝の大御神を信仰する集落で暮らしていたけれども、闇の大御神に使える王たちがお忍びで会いに来て、自分たちと共に輝の勢力と戦ってほしいと頼まれる。
彼らによれば、狭也は、かつて闇の大御神に仕えていた、水の乙女の狭由良姫の生まれかわりであり、大蛇(おろち)の剣に触れることが出来るほどの力を持つ存在なのだというけれど、本人にはその自覚も記憶もない。
そのうえ狭也は、幼少期から繰り返し見ている悪夢のせいで闇に属するものを忌避し、輝の大御神の息子である月代王(つきしろのおおきみ)に、憧れを抱いていた。
結局、狭也は闇の氏族たちには従わず、耀歌(かがい)の日にたまたま集落を訪れた月代王に誘われるがままに、輝の宮に行ってしまう……
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作中で水の乙女の生まれ変わり言われる狭也だけれど、日本の神話に、彼女に該当する存在はあるわのだろうか。
イザナミが亡くなる間際に漏らした尿から、ミヅハノメという女神と、ワクムスビという男神が生まれたという。
このミヅハノメが、日本神話の代表的な水の神だそうなのだけど、尿の女神だと言われると、なんだか微妙な気持ちになる。
けれども、尿は血液中の不用物や老廃物などを体外に流し出す役割をするものだから、浄化、清浄という意味合いを帯びているとしても不思議ではない……と思うことにする。
他に、イザナミが漏らした大便とか吐瀉物も、漏れなく神々になっている。古代日本人の、神に対する感覚は、よく分からない。
きちんと調べた訳ではないけど、一般的に汚穢とされるものから生まれた神々は、ほとんどがイザナミ由来のように思う。
神話のイザナミは、死後、黄泉の国で腐乱した姿イザナミに見られ、それが原因で互いに憎悪する関係になってしまう。
イザナミと決別して、黄泉の国から戻ったイザナギは、男神なのに一人で子どもを産んで、その中でも尊いアマテラスが高天原をおさめることになる。
つまり、イザナギとイザナミは、夫婦で国産みをしていたはずなのに、その後継は、イザナミの血を引いていないことになる。
また、神武天皇の直系の先祖(曽祖父)だと言われる、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)は、アマテラスの孫にあたるようなので、日本の天皇家も、イザナミとはつながりがないことになる。
なんとなくだけど、死んで黄泉の国に行ったイザナミ由来の、汚穢イメージのつよい神々は、輝かしいイザナミ・アマテラス系の神々に追いやられた、日本古来の土着の古い神々なんじゃないかという気がする。
作中の狭也は、輝と闇との間をとりもち、融和を図る役割を必死で果たそうとしていた。
後年、仏教やキリスト教が入って来たとき、高天原の神々は、どうしていたのかな、などと想像を回らしてみたけれど、激しい戦いになったようには思えない。
佐藤史生「ワン・ゼロ」で、仏教系に追いやられて潜行していた神々みたいに、しんみりひっそり潜伏していたかもしれない。
なんだか内容のまとまらない記事になったけど、「空色勾玉」はシリーズで三部作になつているようなので、続編を読んだら、また書くことにする。