坪内逍遥訳「ロミオとヂュリエット」。
ヂュリ
おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故卿(おまへ)はロミオぢゃ! 父御(ててご)をも、自身の名をも棄てゝしまや。それが否(いや)ならば、せめても予(わし)の戀人ぢゃと誓言して下され。すれば予ゃ最早カピューレットではない。
ジュリエットが、ロリ婆になっている。
佐野 昭子「日本における『ロミオとジュリエット』」という論文によると、坪内逍遥訳の「ロミオとヂュリエット」は、1914年に文芸座、1918年に文芸協会、1950年に前進座によって上演されているという。
https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/asano37.pdf
どんな舞台だったのだろう。
衣装は洋服だったのだろうか。
台詞の感じだと、和服としか思えないけど。
公演の写真など残っていないかとネット検索してみたけれども、残念ながら見つからなかった。
ジュリエットがロリ婆なら、オフィーリアはどうだろうかと思って、坪内逍遥訳「ハムレツト」の「尼寺へ行け!」直後の台詞を探してみた。
(旧字旧仮名に心折れたので、新字新仮名に書き換えた)
もうダメじゃ、もうダメじゃ!
生中天の楽のような御誓言の蜜を吸うたゆえ、世の中の女子中で最もあじきない身となったわ!
盛りの花のお姿も狂乱の嵐に萎れ、高尚(けだか)いお心も、調子を外いて荒々しう振合はいた鈴の様に、ゆかしかった音色の名残もない。
おお、何たる因果じや、以前(むかし)を見た目で今を見るとは!
上のヂュリエットよりは、大人っぽくなった気がする。
坪内逍遥訳の「ハムレット」の公演(1911年)を観た夏目漱石が、
「其印象の中には坪内博士にも登場の諸君にも面と向つては云ひ悪い所が大分あるので、少なくとも公演中はと差し控えてゐた。」
と前置きした上で、ものすごい酷評をしている。
坪内博士の訳は忠実の模範とも評すべき鄭重なものと見受けた。あれだけの骨折は実際翻訳で苦しんだ経験のあるものでなければ、殆ど想像するさへ困難である。余は此点に於て深く博士の労力に推服する。
けれども、博士が沙翁に対して余りに忠実ならんと試みられたがため、遂に我等観客に対して不忠実になられたのを深く遺憾に思ふのである。
我等の心理上又習慣上要求する言語は一つの採用の栄を得ずして、片言隻句の末に至るまで、悉く沙翁の云ふが儘に無理な日本語を製造された結果として、此矛盾に陥たのは如何にも気の毒に堪へない。
沙翁劇は其劇の根本性質として、日本語の翻訳を許さぬものである。其翻訳を敢てするのは、これを敢てすると同時に、我等日本人を見棄たも同様である。
翻訳は差支ないが、其翻訳を演じて、我等日本人に芸術上の満足を与へやうとするならば、葡萄酒を政宗と交換したから甘党でも飲めない事はなからうと主張すると等しき不条理を犯すことになる。
博士はただ忠実なる沙翁の翻訳者として任ずる代りに、公演を断念るか、又は公演を遂行するために、不忠実なる沙翁の翻訳者となるか、二つのうち一つを選ぶべきであった。
夏目漱石「坪内博士とハムレツト」
シェークスピアを正確に日本語に訳そうとすると、原作も日本語もぶっ壊れてしまうから、上演に耐えるシナリオにはならない、ということか。
漱石にとっては、気の毒で見ていられない舞台だったようだけど、そんなに酷いだろうかと思う。
令和の観客にも通じるなんちゃって擬古文に変換すれば、意外にウケそうな気もする。
シェークスピアとは別物になるのは間違いないだろうけど。