湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「鎌倉殿の13人」(36)武士の鑑

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第36回「武士の鑑」を視聴した。

 

執権時政(の妻の牧の方)の意向で、謀反の濡れ衣を着せられた畠山重忠は、少ない兵で義時の率いる大軍と死闘を繰り広げ、最後は愛甲季崇(あいこうすえたか)の矢に撃たれて、首を取られたという。

 

吾妻鏡」には、畠山重忠が「梶原景時のように逃げる途中で討たれるのは恥だ」といって、本拠地に戻って兵を整えることをせずに、そのまま戦ったということが書いてあった。

 

 

畠山重忠が討たれたあと、郎従もみな自害したとも書いてあるので、誰が戦の始まる直前の重忠の言葉を伝えたのかという謎は残るものの、畠山重忠についてのそういう美談を「吾妻鏡」に書き残したいという、編者側(北条氏側の)の事情があったのかもしれない。

 

よく言われるようだけど、義時が、父時政を引き摺り下ろして自分が二代目執権になったことを正当化するには、父親のダメっぷりを強調するのが手っ取り早いわけだから、分からない話ではない。

 

でもその義時が畠山討伐の大将軍だったのだし、父親だけに責任をなすりつけるのは無理があるようにも思う。

 

ドラマでは、その無理を合理にするためだろうか、大将軍の義時と重忠による凄惨な決闘シーンが挟まれていた。

 

畠山重忠が戦に不慣れな泰時に襲いかかるふりをして、父親の義時を単騎で誘い出し、そこから二人っきりの決闘となるのだ。

 

大軍を率いていたはずの義時が、いきなり単騎で敵の大将とさしで向き合う場面がある不自然さもさることながら、軍功が恩賞に直結する武士たちが、敵が背中を向けている瞬間になにもせずに見守っている光景も、十分にファンタジックだったと思う。

 

でも、そのファンタジーが挟みこまれたからこそ、納得できる部分もたしかにあった。

 

三浦義村和田義盛に見守られながらの、義時と重忠のタイマンは、手加減なしの死闘であり、どちらも相手を殺す覚悟だったと思うのに、殴り合いを制して刀を手に取った重忠は、義時にとどめを刺さなかった。

 

わざと泰時を狙って見せた畠山重忠の心の中にはに、領地を横取りするために自分に濡れ衣を着せ、息子の重保を騙し討ちで殺した北条への恨みは少なからずあったと思う。

 

けれども、坂東に自分の居場所はないと見限って、武士として潔く死ぬつもりの重忠にとって、私怨などは、もはや取るに足らないものだったのかもしれない。

 

史実においても一族を挙げての徹底抗戦を敢えて選ばず、少数の手勢のみで大軍に抗って滅んでいったという、畠山重忠の心情を、あのタイマンシーンはよく表していたように思われた。

 

逆によく分からないのは、流れでそうなったとはいえ、自らタイマン勝負に持ち込んだ形になった、ドラマの中の義時の心情だ。

 

内々に父時政を排除するところまで意識していたはずの義時には、死ぬつもりなどなかったはずだし、かといって手加減なしのタイマンで重忠に必ず勝てるという確信もなかっただろうに、なぜあの場で全く保身を考えない行動に出たのか。

 

そのことについて、ドラマの義時は何も語らないままだったけど、もしかしたら、勝負に負けたとしても、重忠が自分を殺すことはないと、心のどこかで信じていたのかもしれない。

 

あるいは、たとえ重忠に殺される可能性があったとしても、そこで保身に走る姿を見せていたら、この先に鎌倉を襲うはずの動乱を乗り越えられないという、義時なりの覚悟があったのかもしれない。

 

他の武者たちに見守られて殺し合っていた二人の間にあったのは、坂東や都に充満している政治的な権力争いや騙し合いとは無縁の、純粋な殺意のみであり、その一点で、義時と重忠は信頼に足る敵同士だったとも言える。

 

そして、その姿を見届けた坂東武者たちの心には、のちに義時が執権の座につくことを認める気持ちが芽生えた……かどうかまでは分からないけれども、少なくとも父親の時政との違いは心に焼き付けられたのではないかと思う。

 

(_ _).。o○

 

無実の罪で畠山が滅ぼされたことから、御家人たちの時政への不信感が高まってきているものの、簡単に放逐できるほど、執権時政の力は弱くはなかったようだ。

 

義時はまず、御家人たちの時政不信任の署名を大量に集めた上で、畠山重忠の乱で貢献した御家人へ褒賞を与える役目を時政から取り上げて、尼御台の政子に担わせることを決める。

 

義時にハメられたことを悟った時政は、笑って激怒するものの、さすがに自分に後がないことを悟ったのか、そのまま引き下がる。

 

たぶん次回には、成り行きにブチ切れた牧の方が実朝暗殺未遂事件を引き起こして自壊する流れになのだろうけど、ドラマの義時はそこまでを計算して動いているように見えた。

 

 

(_ _).。o○

 

 

毎回楽しみにしている歴メシネタは、今回は無し。(;_;)

 

畠山重忠と義時の死闘が悲惨すぎて、食欲どころじゃなかったから、仕方がない気もする。

 

開戦前に重忠に会いに行った和田義盛が、重忠に勧められて飲んだものは、酒ではなくて、水だった。もちろん肴もなし。

 

なんとか歴メシにこじつけられるネタはないかと思って探していて、今回、政子にしみじみと愚痴をこぼしていた足立遠元の所領が、武蔵国足立郡(東京都足立区から埼玉県鴻巣市あたり)だったことを知った。

 

鎌倉殿の13人のなかでも格別に影の薄い足立遠元だけれども、所領だった地域には、現代では名物が色々あるようだ。(ネットで調べた)

 

 

東京都足立区……文化フライ

 

東京都板橋区……合格いも(「大学いもの合格屋」というお店の商品らしい)

 

東京都北区……おうじロール(北区王子本町にあるランギャールというお店のロールケーキだそうだ)

 

埼玉県川口市……ぼったら(もんじゃ焼きと区別がつかないほど似ているらしい)

 

埼玉県蕨市……わらびの蕨餅(他の蕨餅とはちょっと違うらしい)

 

埼玉県戸田市……戸田市ソウルフード(市内にソウル物流センターができたらしい)

 

埼玉県さいたま市……くわい焼酎が名物らしい

 

埼玉県上尾市……「上尾串ぎょうざ」というのがご当地グルメらしい

 

埼玉県桶川市……十万石まんじゅう

 

埼玉県北本市……トマト大福、トマト揚げパン、とまとルンルン揚げ餃子、トマト羊羹(トマト推しらしい)

 

埼玉県草加市……草加せんべい

 

埼玉県鴻巣市……川幅うどん、川幅どらやき、川幅ハンバーグ、川幅ラーメン(鴻巣市を流れる荒川の川幅が日本一だかららしい)

 

埼玉県北足立郡伊奈町……さといも、くわい

 

実のところ私も「武蔵国足立郡」の居住歴が結構長かったりするのだけど、上に並べた名物のなかで、実際に食べたことがあるのは「十万石まんじゅう」だけで、他は名前も知らないものがほとんどだった。

 

足立遠元のころから、押し(推し)の弱い地域だったんだろうか…。