湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「鎌倉殿の13人」(22)義時の生きる道

鎌倉殿の13人の第22回「義時の生きる道」を視聴した。


重要人物が亡くなる回が続いているけれど、今回は後白河法皇の退場回だった。

正直、あんまり悲しくなかった。(´・ω・`)

 

でも、後白河法皇の横にずっとついていた丹後の局(鈴木京香)が、その後どうなるのかが気になった。

 

Wikipediaの丹後の局(高階栄子)のページを見てみると、後白河法皇の死後も政治に介入しつづけ、頼朝を後ろ盾とする九条兼実と対立しつつ、頼朝とも親密な関係を築くというしたたかさで権勢を振るい続けたのだとか。ということは、まだまだドラマで活躍するのだろう。


( _ _ ).。o○


八重さんの死を天罰と受け取った義時は、我が子の金剛を立派に育て上げる覚悟を決めて、御所勤めから身を引いて育児に専念する日々を送る。

 

自分の力になってくれた血縁の者や御家人などを次々と粛清して成り上がっていく頼朝と、愛する人や守るべき命を失わないために力を尽くそうとする義時の在り方は対照的で、その違いがそのまま子孫の命の長短につながっているように思えてならない。

 

八重さんの残した大勢の養い子たちは、この後血生臭い内ゲバの嵐が巻き起こる鎌倉で、義時が生き残っていく支えになるのではなかろうか。

 

とくに八重さんが命掛けで助けた鶴丸が、どんな人物になっていくのかが、とても興味深い。


ネットでも鶴丸の将来像についてはいろいろと取り沙汰されているようで、歴史に詳しい方々によって、いくつか候補も上がっている。

 

その中でも、北条泰時(金剛)の家司として異才を発揮した平盛綱ではないかという説が興味深い。


平盛綱は、平資盛(すけもり)の子だというから、平家滅亡後に孤児になって辛酸をなめていたとしても不思議ではない。


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今回は、曽我兄弟の仇討についての、丁寧な前振りがあった。

 

工藤祐経に父親を殺された曾我祐成・時致が、烏帽子親の北条時政に仇討の許可を求め、時政と牧の方夫妻は喜んで許可する。だけどその会話に、庭石の陰に座り込んだ善児が聞き耳を立てていた。

 

善児は梶原景時の下人だから、彼のスパイ活動は景時の指示なのだろう。早い時期から御家人の中に頼朝不信の声が上がりつつあることを把握している景時は、謀反の気配を慎重にサーチしていたのだろうから、曽我兄弟の背後にきな臭いものがあることも、とっくに把握していたのだろう。

 

ドラマでは、治承四年の頼朝挙兵の時からの忠臣だった岡崎義実が、曽我兄弟の仇討を利用して、富士の巻狩りのどさくさに紛れて頼朝を廃する計画を立てていた。

 

吾妻鏡」でも曾我時致が、頼朝目指して走り寄り、頼朝が刀を手にもって立ち向かおうとしたと書かれているから、襲撃は行われたのだろう。

 

ほんとうに岡崎義実が関わっていたのかどうかは分からないけれども、岡崎義実は、この仇討騒動(建久4年5月28日)のあった三か月後(建久4年8月24日)に出家しているので、もしかしたら引責辞任ということだったのかなと、歴史音痴ならずとも想像するところだろう。


なにはともあれ、次回もたくさん人が死にそうだ。(´・ω・`)

 

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毎度恒例の蛇足、歴メシコーナー。

 

今回は食事シーンが多かったので、目を皿のようにしてiPadの画面を凝視したけれど、内容物が判別できない器が多くて泣けた。


公式ホームページにフォトギャラリーがあったので、そちらを参照した。

 

www.nhk.or.jp

 

まず都に上った御家人たちの、豪華会食シーン。

 

都だからかもしれないけれども、坂東武者たちの食事もずいぶん贅沢になった。

塗り物の高坏に、五つの器が載っている。

 

大きめの皿には、短冊形に切られたアワビが載っている。

 

 

 

白っぽい固形物を盛りつけた、黒塗りの深めの皿が二つある。一つは短冊形のものが数枚。もう一つには、楕円形のものが三つほど。どちらも正体が分からない。

 

笹の葉を敷いた上に、薄茶色のものが載っている。これも正体不明。(T_T)

ドラマでははっきり見えなかったけれど、会食を欠席した頼朝のお膳がフォト

ギャラリーにあった。


そちらは御家人たちのお膳よりもずっと豪華で、四角い丸高坏の上に、大きなエビ(伊勢海老?)と、味噌もしくは塩辛っぽいものが載っている。

 

 

 

御家人たちと同じ角高坏もあって、白っぽい固形物が盛り付けられた皿が二つある。一つは四角く切った白身魚。もう一つは、ネギと一緒に盛り付けられているのだけど、野菜なのか、魚介なのか、判別がつかない。

 

笹の葉の上の薄茶色のものは、鴨肉のように見える。焼いてあるようには見えなかったので、煮物か、干物なのだろうか。

 

このあたりは全部宿題にしよう。(T_T)

 

次は、反頼朝系の御家人たちの宴会。

小さめの焼き魚っぽいものと、笹の葉っぱのようなものに載せられた、小さめのエビの頭。頼朝に供された伊勢海老と対比しているのだろうか。

 

はっきり見えるのに、正体の分からないものがあった。

 

松葉を添えた皿の中に残っている、ハマチの刺身みたいな色の、かたまり。
かたまりからは、細長い根っこのようなものが一本飛び出していて、それよりも細かな毛のようなものも、もじゃっと飛び出して、器に貼りついている。

 

色合い的にショウガっぽいのだけど、上品なお膳に芽やひげ根がついたままのショウガを載せるとも思えない。

なんだろう。めちゃくちゃ気になる。

これも宿題にするしかない。(T_T)

 

養い子の育児に奔走中の義時のもとに、政子が餅を差し入れるシーン。

やわらかそうな丸餅だけど、食べている様子を見ると、粘り気が感じられない。ついてから少し時間がたっているからだろうか。

味は不明。

平安時代には餅に甘葛煎(あまづらせん)で甘みをつけることもあったようなので、もしかすると、政子は子ども向けに甘いお餅を用意したのかもしれない。

 

今回、食べ物が豊富に出たのに、知識が乏しいせいで、ほとんど把握できなかった。精進せねば。