湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

今日の一冊・井原西鶴「日本永代蔵」

お気に入り本棚の五冊目。

 

井原西鶴「日本永代蔵」暉峻康隆訳注 角川文庫 

 

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うちにあるのは、昭和四十二年に初版が出た角川文庫版(暉峻康隆訳注)。

 

奥付に、昭和六十二年 八月十日 二十一刷発行」とあるけれども、古本屋さんで買ったものらしく、最後のページに「250」と鉛筆で書いてある。最初の数ページに、前の所有者が品詞分解をしたらしき書き込みが結構あるので、今なら値段がつかないかもしれない。ブックオフならまず店頭に出ないだろう。

 

ということは、まだ古本の値段が今ほど下落しておらず、多少の書き込みがあっても3桁の値段で売られるような時期に買ったものということになる。

 

昭和の終わりか、遅くても平成初期。

品切れになっている文庫本を古本屋さんで探し回って買ったていたのは、その頃だ。

 

そして買ったっきり、30年あまりも放置していたことになる。

 

生きているうちに、もう一度手に取ることができて、よかった。

 

(_ _).。o○

 

 

巻一の冒頭を読んでみたら、なんだか見覚えのある一節があったので、書き写してみた。

 

天道言はずして国土に恵みふかし。人は実あつて偽りおほし。

其心は本虚にして物に応じて跡なし。

是善悪の中に立つてすぐなる今の御代をゆたかにわたるは、人の人たるがゆゑに常の人にはあらず。

 

一生一大事身を過くるの業、士農工商の外出家神職にかぎらず、始末大明神の御託宣にまかせ、金銀を溜むべし。是二親の外に命の親なり。

 

人間長くみれば朝を知らず、短くおもへば夕におどろく。

 

されば天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客、浮世は夢まぼろしといふ。時の間の煙、死すれば何ぞ金銀瓦石にはおとれり。黄泉の用には立ちがたし。然りといへども、残して子孫のためとはなりぬ。

 

 

「光陰は百代の過客」で思い出すのは、松尾芭蕉の「奥の細道」だけど、元は李白の詩だという。(高校の古典の授業で教わった記憶が微かにある)

 

夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客、而浮生若夢 為歓幾何

 

(書き下し文)

夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり。
而して浮生は夢のごとし、歓を為すこと幾何ぞ。

 

李白「春夜宴桃李園序」より

 

類似個所を年代順に並べてみた。

 

李白「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」8世紀

西鶴「天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客」1688年

芭蕉「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」1702年

 

西鶴は、李白をそのまま引用しているけれど、芭蕉はアレンジを加えている。

 

芭蕉、かっこいい……。

 

それはともかく、西鶴は、なんでわざわざこの一節を引用したのだろう。

 

「日本永代蔵」といえば、一代で大富豪になった超セレブな人々の話を集めた本のはずだけど、冒頭いきなり「人は実あつて偽りおほし。其心は本虚にして物に応じて跡なし。」と、人間の本質なんて空虚なものだと言い切っている。

 

諸行無常な人生観と、大富豪の人生観は、真逆のもののような気がするけれども、だからこそ、それを合わせてきたのだろうか。

 

上に引用した箇所の現代語訳が、すごくいいので、そちらも引用してみる。

 

黙っていても国土に恵みの深い天道に対して、人間はもと誠実なものであるが、しかし偽りがちなものである。その本心は元来空虚なもので、外物に応じて善とも悪とも形をあらわすが、外物が去ればまたもとの空虚に帰してあとかたもない。

 

そうした善と悪との世の中に立って、政道正しい今の御代をゆたかに暮らしている人は、本当に人らしい人なのだから、凡人ではない。一生の一大事は渡世の技である。士農工商はもとより、僧侶神官にいたるまで、倹約の神の御告げ通りに金銀をためよ。これこそ両親をのぞいては命の親である。

 

だが人の命は、長いものと思えば翌朝をまたず、短いものと思えば、早くもその日の夕方に終わる。

 

だからこそ中国の詩人も、「天地は万物をやどす宿のごとく、歳月は永久にすぎ去る旅客のごとく、人生は夢まぼろしのごとし」という。まことに人の命は、しばしの間に火葬の煙と消え失せる。死ねば金銀も何の役に立とう。瓦石にもおとるものだ。あの世の用には立ちがたい。

 

とはいうものの、残しておけば子孫のためになるものだ。

 

「日本永代蔵」暉峻康隆訳注 角川文庫 「初午は乗ってくる仕合せ」より

 

辞書を引きながら(岩波古語辞典をだいぶ引いた)原文を読んだだけでは理解しにくかったところが、うまく解きほぐして訳されている。

 

いまは角川ソフィア文庫で新版(堀切実・他訳注)が出ている。そちらは持っていない。