アニメ「鬼滅の刃 竈門炭治郎立志編」を、Amazonプライム・ビデオで全部見終わった。
全26話。
以前から、末っ子に地味に勧められ続けていた作品。
末っ子によると、相手の都合を顧みずに「鬼滅の刃」を猛烈にプッシュする行為を、鬼滅の刃ハラスメント、略して「キメハラ」というらしい。
友人から日々「キメハラ」を食らい続け、防御しきれずやむなく視聴した結果、末っ子は、劇場版を何度も見に行くほどのファンになってしまったそうだ。
それでも「キメハラ」は道義的によろしくないということで、私への勧誘はだいぶ控えめだった。
とはいえ、基本的にアニメを見るのが苦手な私をその気にさせたのだから、なかなかの勧誘圧ではあった。
そして私も、見始めたら見事にハマってしまった。
極めて理不尽で残酷なストーリーだとは思うし、それを厭う気持ちもあるのに、続きを見るのを止められない。
竈門炭治郎という子は、恐ろしく脆いヒーローだと思う。
妹を人間に戻すこと、「長男」として「家族」を守ることだけを生きる目的として、自分の全てを捧げている。
妹の禰󠄀豆子を失ったら、炭治郎はたぶん生きていられないか、鬼と同じようなものに成り果てかねない。そんな危うさがある。ストーリーが進むにつれて、炭治郎は桁違いの強さを身につけ、共に戦う仲間と出会っていくけれども、「立志編」の最後まで、根本的な危うさや脆さに変化はないように思えた。
でも、そういう脆さが克服すべきものかどうかと問われれば、そういうものでもないように思う。守りたいものを全部奪われても世界を救い続けられる精神力なんて、少年漫画のヒーローに求めるべきものじゃないだろうし。
奪われたら生きていけないから、奪われないように強くなる。失いたくないものを守ろうとして宿命に導かれて進んでいく。鬼滅の刃の主題歌も、そんな感じの歌だった。
今後のシリーズで、炭治郎がどんな精神的な成長を遂げるのか、原作を読んでいない私には分からない。諸悪の根源らしい鬼舞辻無惨(←iPhoneの辞書はこれを一発変換してくれた)との戦いよりも、そいつを倒した後の炭治郎の人生のほうにハラハラするものを感じる。無事に生き延びたとしても、手の掛かる仲間や妹の世話優先で、自分のことは全部後回しになっちゃいそう。
次は「無限列車編」かな。
末っ子がコミックを部分的に持っているらしいので、アニメ全部見終わったら借りよう。