ド鬱状態になって、一週間になる。
相変わらず、昼間は頭が動かない。
ここのブログも下書きばかりが溜まっていく。書いている途中でしんどくなって休んでしまうと、続きを書く気力が戻らない。数えてみたら下書きが7つもあった。
気力や意欲の減退だけでなく、行動を組み立てる段階から、がっつり阻害されているのを感じる。
例えるなら、視界がせいぜい10センチほどしかきかず、その範囲でしか能動的に動けない感じだろうか。
逆にいうと、10センチの視界の範囲内なら、なんとか動けるということでもある。
目の前にある洗濯物を、手元で畳むことはできるけど、立ち上がってタンスやらクローゼットやらに収めることを考えようとすると、心身が締め付けられるように苦しくなる。そんな感じだ。
新型コロナ後遺症のブレインフォグの時とは違って、本が読めるのだけはありがたい。なにしろ手元にあるKindleやiPhoneをタッチすれば活字が現れるのだから、なんの段取りもいらない。
だけど、一日中、本ばかり読んでいるわけにもいかない(読んでるけど)。
いいかげん、生活を立て直したい。
やりたいと思っていたことは山ほどあったはずだ。思い出せないけど。
とはいえ、何もできない自分に焦って叱咤しても、鬱の思う壺でしかない。
脳を疲弊させる思考の悪循環を絶って、休養と栄養を送り込むこと。
なにか強烈に楽しいことでもあれば、鬱思考など一撃で消し飛ばせるのだろうけど、もともとそんなに面白味のある人間でもないから、自力では、なかなか笑えることに出会えない。
アフリカでの医療支援に献身していたシュバイツアー博士は、朝晩の食事時に医療スタッフに冗談をかまして爆笑させるのを日課していたという。ノーベル賞を受賞したという偉業よりも、過酷な環境で疲弊しきっているスタッフを爆笑させられることのほうに、空恐ろしいほどの凄みを感じる。爆笑は、どんな薬剤や食料よりも人を生かす糧になることもあるのだから。
いつからこんなに笑うことが難しくなったのか。
あ、でも末っ子の音読にはよく笑わされていたのだった。行間に挟み込まれる鋭いツッコミには、批評精神の萌芽もあったりして、なかなかのものだ。
いつも寝る前に読んでもらっていたけど、昼間に依頼してもいいかもしれない。バイト代取られるけど(一回100円)。
何読んでもらおうかな。