ツイッターで読書垢をぼちぼち動かしているので、「#名刺がわりの小説10選」というタグを書きこんでみようと思い立ったのが数日前。
その10冊が、ちっとも決まらないので、こっちでゆっくり考えてみることにした。
まず1冊目。
「窯変源氏物語」橋本治
この数年で一番心を持っていかれた小説といえば、これ。
ソフトカバーの本で全巻そろっている(亭主が買ったけど、本人は途中で挫折したらしい)。
とにかく壮絶に美しかった。
物語の主人公にされてしまった光源氏の、永遠に救われることなく繰り返し紡がれてしまう人生の虚しさに涙しつつ、そういう物語をつづった紫式部と、その残酷で美しい物語を容赦なく現代日本語で書き起こした橋本治を、心底恐ろしいと思った。
全巻を一気読みしたあと、亭主に「双調平家物語」をねだったけど、どうも紙の本はソフトカバー版も文庫版も現在品切れのようで、kindle版のみ出ているようだ。中古品はそれなりに出回っているようだけど、巻によってはそんなにお安いわけでもない。
亭主はどちらかというとアンチ電子本なのだけど、私は読むだけならkindle版でもいいので、どうしようか迷っている。
2冊目。
小学五年生くらいのときに、子供向けに抄訳された本が図書室にあったのを読んで夢中になり、親に頼んで創元SF文庫版をシリーズ丸ごと買ってもらって、何度も何度も読んだ。小学生には難しい言葉も少なくなかったけど、気合と想像力だけで読み倒したものだ。表紙のプリンセスの絵姿も大好きで、心からあこがれた。
もう四十年ほども読み返していない。本は第一巻のみ、まだ手元に残っているけれど、読み始めたら、きっとシリーズ全部読みたくなってしまうだろう。kindle版で、『火星のプリンセス』『火星の女神イサス』『火星の大元帥カーター』を収録した合本版が出ているようなので、それを買おうかと思う。
近年になって、この物語の設定で書かれた「火星の土方歳三」という作品があるのを知って即買いし、そちらも面白く読んだ。
3冊目。
「赤毛のアン」モンゴメリ
この作品も小学生のときに図書室で読んだのがきっかけで、文庫本でシリーズをそろえたように覚えている。
いま思い返すと、少女のころのアンはかなりADHD寄りのタイプだった気がする。
多動で多弁。思い付きでとんでもないこともするし、激しい癇癪を起すこともある。結構粗忽だったりもする。
作中のアンは、自分が赤毛であることにコンプレックスを持っていて、髪染めを試みて大失敗したりする。赤い髪の毛なんてステキなのに、どうしてコンプレックスなんて持つのだろうと子どものころは不思議に思っていたものだ。
赤い髪の毛に対して、欧米では「気性が激しい」などの一定の偏見があることを知ったのは、ハーレクイン系の作品を読むようになってからだった。ドラマや小説などでは、いじめっ子や悪役を赤毛キャラにすることも多かったそうなのだけど、現実には赤毛の子がいじめられたり、差別されたりする危険が大きかったのだとか。
いま読み返したら、アンの心情の受け止め方がずいぶん違っているかもしれない。
4冊目。
「笑うな」筒井康隆
筒井康隆作品で一番好きな小説と聞かれても、一冊だけ選ぶことはできないけれども、一番笑った本はまちがいなくこれだと思う。
最初に読んだ筒井作品は「時をかける少女」だった。小学生のころ、この作品を原作とした「タイムトラベラー」というドラマをNHKで放映していて、それがあまりにも面白かったので、本を買ってもらって読んだのだった。もらったお小遣いを持って、夕暮れの町を全力で走って本屋さんに行ったことを、いまも覚えている。
鶴書房盛光社のSFベストセラーズとして1972年に出版された「時をかける少女」は、絶対に手放していないはずなので、よく探せば家のどこかにまだあるかもしれない。
↓(この写真はAmazonの商品情報からお借りしました)
思い出深い作品だけど、この本を10冊のなかに入れないのは、あの結末に、どうしてももやもやするものを感じてしまうからだ。
ハッピーエンドにならなかったのは仕方がないし、二度と会えない別れがあるのも実らない恋があるのも、理解できる。そういうものを忌避していたら、ほとんどの小説を読めなくなってしまう。
でも、ああいう形の出会いと別れは、あまりにも酷すぎなかったかと、この年になったいまでも少し思ってしまうのだ。
筒井康隆の作品には、正直、苦手なものも少なくない。この作者はほんとうに人の心の痛みが「わかって」書いているのだろうか、「わからない」からこんな話が書けてしまうのじゃないと問いたくなるような話が多い気がする。でもSF小説をたくさん読むようになったきっかけの作家なので、あげてみた。
5冊目。
「九年目の魔法」ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
この作品を読んで以来、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品を手あたり次第読むようになった。
巷では難解な作品と言われているらしい。
私もラストを読んで、「え?」と思って、もう一度最初っから読んだような記憶がある。
主人公の祖父の世代からの、理不尽な存在との不幸な確執に巻き込まれた主人公が、成長して、大切な人を守りぬく物語……とまとめてしまうと、なんかちょっと違う気がする。
ぎっしりつづられた文章から立ち上ってくる、どうしようもなく陰鬱な空気とか、最も邪悪なはずの人物が息を飲むほど可憐であることの不条理さとか、そういうものが読後ずっと印象に残っている。
6冊目。
「奥のほそ道」リチャード・フラナガン
この作品を読んだのは、ここのブログをはじめてからだと思うのだけど、なぜかブログに読書記録を残していない。昨年十月ごろの日記に、作中に出てきた「泰緬鉄道」(太平洋戦争中にタイとミャンマーの間をつないでいた鉄道)についてチラチラと書いているので、そのころに読んだのかもしれない。
購入して読んだのではなく、地元の図書館でたまたま見つけて、タイトルに引かれて借りた。長い作品だったけど、読み始めたら止まらなくなり、ほとんど一気に読了したのだったと記憶している。
オーストラリアの医師だった主人公は、太平洋戦争中に日本軍の捕虜となり、泰緬鉄道の建築に従事させられる。そこでの待遇はおよそ人道的なものとは程遠く、多くの捕虜たちが惨たらしく死んでいった。
地獄のような境遇にあって、主人公はなんとか生きながらえたものの、最愛の女性と永遠にすれ違わなくてはならない陥穽にはまってしまい、途方もない虚無を抱えながら残りの人生を生きることになってしまう。
小説は、日本人将校たちの人生についても語っていく。捕虜に対しては加害者であった彼らも、戦争のためにおぞましい歪みをうけた人々であることが浮き彫りにされていくのだ。
作品から受けた衝撃が大きかったため、以後ときどき近代史のおさらいをするようになった。おさらいといっても、知らないことのほうが多すぎて、はずかしくなるばかりだ。
リチャード・フラナガンの他の作品も読んでみたい。
地元の図書館の蔵書を検索したら、「姿なきテロリスト」が入っているようだったので、次に図書館にいったときに探してみようと思う。
7冊目。
「魔導具士ダリヤはうつむかない」甘岸久弥
「小説家になろう」で現在も連載中の小説。
とにかく大好きな作品なので、何度も最初から読み返している。
一言でいうと、恐ろしく丁寧で地に足の着いた異世界転生ラノベ、だろうか。
主人公も、他の人物たちも、描かれている世界や文化も、質感が妙にリアルで、どこにも「ありがち」な「借り物感」がない。
主人公のダリヤは、うつむきがちの人生を送った挙句に過労死した日本人女性としての前世の記憶を持ったまま、魔法や魔導具の存在する異世界に転生する。今世の父親は有名な魔導具士で、ダリヤを大切に育ててくれたけれども、娘が魔導具士として一人前になるかどうかというところで病死してしまう。
その父が決めた婚約者は、結婚前日、新居に越してきたダリアに向かって、真実の愛を見つけたという理由で、一方的に婚約破棄を告げる。彼は魔導具士としての兄弟子でもあり、腕は確かだったけれども、師匠の娘であるダリアの才能への嫉妬から、彼女の赤毛を派手だと決めつけ、化粧すら認めないという、だいぶちっぽけなモラハラ男だった。
前世ではブラック企業に酷使されてうつむいたまま早死にし、今世でも婚約者の意向に合わせるために自分を殺して過ごしていたダリヤは、婚約破棄の一件から、もううつむいて生きるのはやめて、自分の生きたいように生きようと決意する。
その決意によってダリヤが起こした行動は、最初はごくささやかなものだったけど、次々とかけがえのない出会いをもたらし、そうしてダリヤと出会った人々は、気がつけば自分の人生が思いっきり好転するさまを目の当たりにすることになる……
心の元気が足りないときに読むと確実に復活できる、稀有な作品。
連載がどこまでも長く続いてほしい。
ものつくりメインのお話は他にもたくさん書かれているので、似たような作品がありそうなのに(あれば読んでみたいのに)、いまのところ見つけられずにいる。
「エレンディラ」G・ガルシア=マルケス
好きな小説かと聞かれると、「好き」と即答はできないけれども、ものすごく忘れられない小説なので入れてみた。この作品で、ラテンアメリカ文学の異様な世界に初めて触れたというのもある。
化け物のような祖母に売春を強いられて暮らす少女が、祖母を倒して化け物になっていくお話、といえばいいのだろうか。
同じ作者の「百年の孤独」よりもずっと短い作品だけど、毒の含有量は上回っているのじゃないかと思う。
ちなみに私はこの作品を「サンリオ文庫」版で読んでいる。
サンリオ文庫版「エレンディラ」が出たのは1983年で、私が大学二年のころだ。
サンリオ文庫やサンリオSF文庫からは、他の文庫とは毛色の違う独特な作品がたくさん出ていたけれども、あまり売れなかったらしくて、1987年に終わってしまっている。もっと買っておけばよかった。
9冊目。
「櫂」宮尾登美子
三十代のころに読んで、しばらく宮尾登美子作品漬けになっていたのを覚えている。
きっかけは、松たか子主演のドラマ(1999年放送・NHK)だったように記憶しているけど、ドラマを見る前に読んでいたかもしれない。
作者の母の人生をモデルに、大正から昭和初期の女性の激動の人生を丸ごとえぐりとってくるように書かれたこの作品を、一言でまとめるのは難しすぎる。
私がこの作品に夢中になったのは、ストーリーそのものだけでなく、いまはもう消えてしまった大正・昭和初期の光景や、細かな風俗習慣の丹念な描写に引きこまれたからだった。
冒頭で、主人公の喜和が夫の夏物を「支那鞄(しなかばん)」から出しているときに、「楊梅(やまもも)売り」がやってくるシーンは、ずっと印象に残っている。
「支那鞄(しなかばん)」と、「楊梅(やまもも)」を、どちらも私は知らなかったけれども、google検索で調べてみると、両方とも深い色合いの赤だったようなのだ。
いつか再読するときには、そういう細部を丁寧に味わいなおしたい。
10冊目。
「となりの宇宙人」半村良
半村良作品は高校から大学時代にかけて本当にたくさん読んでいるのに、いまでも繰り返し思い出すのは、「めぬけのからしじょうゆあえ」という短編作品だ。
地球滅亡の日に、料理人が弟子に人生最後の料理の指導をしている。選ばれたのは「めぬけのからしじょうゆあえ」という料理なのだけど、実はその「めぬけのからしじょうゆあえ」という言葉を一定回数繰り返して口にした人間だけが、なぜか神に選ばれて生き残るのだ。
この作品は「となりの宇宙人」という短編集に収録されていて、たぶん私はそれを買って読んだのだと思うけれども、残念ながら他の話はよく思い出せない。
半村作品で最初に読んだのは、「およね平吉時穴の道行」というSF時代劇のはずで、NHKでドラマ化されて放映されたのを見たのがきっかけだったと思う。いま調べたら、放映されたのは1977年4月で、主演は由美かおると寺尾聡だったらしいのだけど、覚えてなかった。
直木賞受賞作の「雨やどり」や、それに続く「新宿馬鹿物語」も、高校時代に読んだはずなのに、ストーリーをあまり覚えていない。
で、思い出すのが「めぬけのからしじょうゆあえ」だけなのだけど、理由は自分でも全く分からない。
とりあえず小説を10冊選んでみたけど、これ、名刺代わりになるんだろうか。
あ、せっかく10個並べたから、はてなブログ10周年特別お題の日記ということにもしておこう。