湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

悲しむ

こんばんは。

 

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この数日体調が落ちていて、頭の歯車が軋んでギギギギいってる感じがあって、あまり読み書きできなかった。

 

昨日は昼ごろには腹痛が始まって、夕方までで苦しんだ。

 

ストレスか、お腹の風邪か、わからない。

なんにせよ、読み書きがはかどらないのは黄色信号点滅なので、無理しないのに限る。

 

 

映画

 

というわけで、読み書きせずに映画を見ていた。

 

「カンパニー・メン」(Amazonプライム・ビデオ)

 

カンパニー・メン [DVD]

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  • 発売日: 2012/03/02
  • メディア: DVD
 

 

大企業で高給をもらっていた人々が、突然のリストラに見舞われて、人生が大きく変わってしまう物語。

 

会社の業績不振で株価が下落したため、他企業に吸収合併されることを恐れたCEOは、会社設立時の根幹だった部署の統廃合と、数千人に及ぶ大規模なリストラを強行。社員よりも株主のほうが大事と言い切るCEOは、リストラされる人々の心情に寄り添う気持ちなどなく、自分の年収を削ることもしない。

 

長年会社に貢献してきた社員たちは、後の保証もないまま容赦なく切り捨てられたことで、経済面だけでなく、心も傷つけられてしまう。

 

失業を理由に家族に冷たくされ、アルコール依存の果てに自殺に追い込まれた、現場叩き上げの古参職員。

 

露頭に迷う部下たちを守ろうとしてCEOと対立した結果、自分もリストラされてしまった重役。

 

……とはいえ、リストラされるまでの彼らの生活水準が高すぎるので、見ている側としては、あまり同情する気持ちにもならない。

 

プール付きでローン付きの大豪邸で、高級車を何台も持つような暮らしをせずに、堅実に暮らしていれば、還暦手前で青くなって職安に通い詰める必要もなかった気がするのだけど、そのあたりは日本の庶民の常識とは違うのだろうから、突っ込んでも仕方がないのか。

 

若くて有能な営業部長として高給をもらっていた主人公も、ある朝突然、理由の説明もなく会社を追われてしまう。

 

主人公の妻は、家庭の危機に対応できるタフな女性だったので、自分もすぐに仕事を探し、倹約に勤め始める。でもエリート意識の強い主人公は、それまでの生活レベルを維持することに固執して、妻に当たることが増えていく。仕事の口があっても、リストラ前より収入が落ちることに我慢がならず、蹴ってしまう。

 

けれども失業者のあふれる職安では、望むような再就職先は見つからない。

 

両親の不仲に心を痛めて苦しむ息子を見て、ようやく我に返った主人公は、生活を立て直して、職種を選ばず働く決意をする。

 

豪邸や高級車を手放して、自分とはソリの合わない堅実な両親の家に居候することに決めた主人公の再就職先は、住宅建築現場だった。大工の棟梁は妻の兄で、見栄っ張りな主人公とは犬猿の仲だったけれども、妹一家の窮状を見かねて、気に入らない義弟に手を差し伸べたのだった。

 

恐ろしく無能な大工見習いとなった主人公は、ダメ出しばかり食らってふてくされながら働いていたけれども、義兄の実直な人柄に触れ、あぶく銭とは無縁の物作りの世界の魅力を知ることによって、それまで思ってもみなかった、人生の幸福のあり方に気づくようになる。

 

ラストでは、元の会社をリストラされた人々と一緒に、物作りの会社を起こすることになり、その先には希望の光が見えていた。

 

物語の世界の未来では、主人公たちは人生を立て直していくのだろうけど、社会の問題はなにも解決されずに残る。映画の舞台はアメリカだけど、私の知る日本の労働問題と共通する部分もある。

 

主人公の義兄は、大工仲間たちの仕事を作るために、住宅建築の仕事をほとんど赤字の格安で請け負っていて、早期完成すれば得られるボーナスのために、自分一人だけ、休日に働いていた。もちろんタダ働きである。

 

さらに現場は低賃金の重労働だから、いつでも人手不足で熟練者が少なく、誰かが休めば他の働き手に大きなしわ寄せが行くことになる。

 

日本の福祉の現場と似ている気がする。

介護の仕事は技術と知識が必要な専門職で、社会の中でなくてはならないものなのに、低賃金で重労働で、ブラックだという風評も多いから、求人しても応募者が少ない。とくに知的障害者(児)のための学童保育介護施設は、資金を得て事業を起こそうとしても、働き手が見つからないために断念するほどだという。

 

社会保障は国の財政を圧迫するというので削りこまれているし、世の中の視線も厳しいから、今後も賃金が上がる見込みは薄そうである。

 

それなのに、福祉の現場なら仕事があるということにもなって、職を求める人たちにとってセイフティネットのようになりつつあるようにも見えるのだから、皮肉な話ではある。

 

そんな福祉の職場に、本日、うちの長女さんは休日出勤している。お昼はエビフライ弁当を注文して食べたとのことで、写真が送られてきた。おいしそうだった。(@ ̄ρ ̄@)

 

 

アレキシサイミア

 

長女さんと、アレキシサイミア(失感情症)について、いろいろ話した。

 

生まれつき、自分の感情や感覚について認識するのが難しかったり、言葉にして出すことが苦手だったりするタイプの人がいるという。

 

そういう人たちは、往々にして、感情を伴わずに詳細を語れる事柄に(オタク的な)強い関心を寄せ、話題にすることを好むけれども、情緒的な話題、例えば他人の感情への共感を必要とする雑談などが苦手だったりするという。

 

さらに、こういうタイプの人たちのなかには、理由なく起きる頭痛や腹痛、その他さまざまな身体の不調を抱えていて、自律神経失調症のような状態になる場合が多いのだという。

 

このアレキシサイミア(失感情症)の人の身体症状は、日々の暮らしのなかで、通常ならさまざまに感じられるはずの、感情や感覚が「わからない」「外に出さない」ことのツケがたまることと関係があるかもしれないという。

 

そして、自閉症圏内の人に、このアレキシサイミアの問題を抱えている人が少なくないという。

 

で、この問題について語り合っている自分たちが、この「症」の当事者であることを半ば認めている我々としては、ではどうしたら自分の感情や感覚をリアルタイムに認知することができるのかを切実に知りたいわけだけど、その方法についての有効な情報が見つからない。アレキシサイミアに伴う身体の不調について解説するサイトには、

 

「できるだけ感情を表出しましょう、外に出しましょう、つらかったり痛かったりしたら、それを自分で言葉にしましょう」

 

みたいなアドバイスが添えてある場合があるけど、そもそも自力で存在を知覚できないものを、どうやって外に出せというのか。そんなアドバイスは、

 

「血液中の中性脂肪が多すぎるかどうかを自分で感じることはできませんが、血液中の中性脂肪が多すぎると感じた場合は自力で体外放出しましょう」

 

と言われるのと同じくらいの無茶振りではないか。バカなのか。

 

でもまあ何かにつけて自分の内面に湧いた思いを言語化する作業をすることは、ひょっとすると身体症状改善の役にたつかもしれないよね、ブログ書こうよ、みたいな話をしている。

 

 

感情とは

 

 

私は本や映画に感情移入してよく泣くけれど、実のところ、「悲しい」という感情が、よくわからない。

 

十年ちかく前のこと。

当時よく語り合っていた友人が、長患いで入院したので、何度か見舞いに通った。病院へは電車やバスを乗り継いで片道1時間半ほどかかるので、当時体調のよくなかった私にとっては体力的にはギリギリだったけれど、会えば話がはずんで楽しいし、友人も元気になるように思えたから、苦にならなかった。

 

前の見舞いから一ヶ月ほど間があいて、次はいつ行こうかと考えているところに、入院している病棟の看護師さんから電話をもらった。友人が会いたがっているという。それならば明日行きますと答え、その友人と親しくしていた方にも声をかけて、一緒に見舞うことにした。

 

当日は、友人の病状が気になりつつも、久しぶりだし今日はどんな話をして楽しもうかなどと、仲良しのメンバーで集まれることの楽しさに心弾ませながら、友人の病室に向かったら、ドアの前で、電話をくれたらしい看護師さんに呼び止められた。

 

「先ほど、お亡くなりになりました」

「え?」

 

聞いた言葉を疑うでもなく信じるでもなく、とにかく何も頭に入らない。

 

「え?」

 

そこから思考が一歩も動かない。

けれども身は病室に誘われて、ベッドに横たわる友人と対面することになる。

 

「え?」

 

顔の上にかけられた白いガーゼを取り除くと、ゆったりと眠っているような友人の顔がある。疲れているようだけど、安らいでいるようにも見える顔。

 

同行してくれた方が、私の手を握りしめながら、横たわる友人に話しかけている。

 

「ああ、○○さん、きれいだ! ほんとにきれいだよ! 苦しかっただろうに、よく頑張ったね!」

 

 

ああ、うん。でも……

え?

ついさっき死んだ?

いま死んでる?

あいにきたのに、いない?

そこにいるよね。死んでるって、何?

 

気がつけば、どうしようなく号泣していた。

内なる感情は「悲しい」をマッハで置き去りにした結果、すっかり真空(空っぽ)状態で、なにをどう感じているかもわからない有様なのに、外側は泣き喚いてパニック状態、

 

その後どうやって病院から帰ったのか、よく覚えていない。

 

ただ、病院の敷地から出るあたりで、満開の梅を見たような覚えがある。一緒にお見舞いに行ってくれた方と、その梅について何か話もしたような気もする。

 

パソコンを開くと、友人とのチャットのログが膨大に残っていた。それはもう二度と増えることはないけれど、そうは思えなかった。だから、友人はあの世にログインしたんだなと思い、それで納得した。一連の感情の流れの中に、「悲しい」は、見当たらなかった……ように思う。

 

でも、これを書いていて、頭の奥の方に、ぐらぐらと動く気持ちの悪いものがあるのを感じる。三日前あたりから、この友人の亡くなった日のことを、繰り返し思い出しているからだと思う。

 

三日前に、あの日の友人の病室に一緒に行ってくれた方が亡くなったと、知らせがあった。

 

病気であることは、半年ほど前から伝え聞いてはいて、深刻な病状であることも察していたから、覚悟はしていた。

 

私のなかには、やはり「悲しい」は見当たらない。ただ、三日前から体調ががっかり落ちている。読み書きが出来ず、昨日はひどい腹痛で半日寝込み、今朝は頭を締め付けるような感覚などもあり、教会の日曜礼拝を欠席した。

 

 

正しい悲しみ方は、どうしたら習得できるのか。

それは、どこかに書いてあるのだろうか。

 

 

 

 

ここまで書いて、やっと、涙が流れてきた。