湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

一日

 

今日は家族がみんなおやすみなので、思いっきり寝坊した。

 

なので、朝食は各自セルフサービス。といっても、起きたのは亭主だけだったようだ。

 

お昼には流石に起きて、食事を作った。

 

 

【牛肉とトマトのスープ】

 

牛肉薄切り肉、醤油、オイスターソース、ごま油、日本酒、黒こしょう、片くり粉を、ビニール袋にいれてモミモミ。

 

薄切りにした長ネギをごま油で蒸し煮してから、切ったトマト、日本酒、水で煮て、煮立ったら牛肉投入。味見しながら醤油その他を足して、火を止めたら黒こしょうで仕上げ。

 

 

【低温キャベツ】

 

予熱してない乾いた鍋(厚みのあるやつが望ましい)、オリーブオイルと塩を入れ、その上に千切りにしたキャベツをどさっと入れて、蓋をして、可能な限り弱火で蒸す。

 

柔らかくなったら、黒酢を回しいれて、全体を混ぜて、もうちょいあっためて、出来上がり。

 

一仕事したらご褒美。

というわけで、本一冊ダウンロード。

 

 

○Aryou「いつか陛下に愛を」

 

黒髪の日本人女性が交通事故死した直後に言語も文化も全く違う異世界に転生し、どこぞの王家の御一行に拾われたと思ったら、自分たちの姫の身代わりとして他国の後宮に送り込まれ、二十代なのに中学生くらいの子どもだと勘違いされたまま、無自覚なロリコンだったらしい俺様国王の目に止まって変な具合に執着されることになり……というお話。

 

華奢で幼い見た目と違って、ドライで図太く恋愛感情とは無縁なタイプのヒロインは、後宮で他の女たちの嫉妬を買ってイジメに遭ったり毒殺されかけたりしても、どこか飄々としていて、三食昼寝付き以上の暮らしを望むような欲もなく、国王の寵愛や夜の訪れを有り難がるどころか、迷惑に思う気持ちを隠そうともしないため、俺様国王のほうはヒロインの真意を測りかね、しまいには嫌われるのを恐れて会いにも行けなくなり、部下に見張らせて毎日報告書を提出させ、それを読んで心を慰めるといういじましいありさまで、タイトルの「いつか陛下に愛を」が一体いつ実現するのかと、変なところではらはらしながら読み進めていたら、最後の最後で(私が)泣かされた。

 

 

(_ _).。o○

 

 

午後になって体調が悪くなり、起きていられず、ずっと横になっていた。

 

本を読むのもきついけど、なにもしないのもつらいので、Amazonプライム・ビデオで映画を眺めることにした。

 

黒澤明監督 「まあだだよ

まあだだよ [Blu-ray]

まあだだよ [Blu-ray]

 

 

見終わってから、内田百閒のウィキペディアなどの記事を調べて年代等を確認した。

 

映画の冒頭で、作家業に専念するために教師をやめる時の内田百閒先生が、いまの自分よりだいぶ若かったらしい(四十代?)ということに、ちょっと驚いた。最後の授業の教室に、父親も教え子だったという学生がいたので、もっと年上だと思っていた。

 

昭和前半のシニアと、平成令和のシニアは、何かがずいぶん違っている。

 

昔の人は老けて見えるとか、そういうことではない気がする。

 

たぶん昔の人にとっての不惑の年や還暦は、そう遠くない人生の終焉を強く意識し、覚悟するための目印だったのだろう。そのあたりの感覚が、たぶんいまの五十代とはだいぶ違う。第二の人生なんて軽々しく想定できないほど、ほとんどの人の人生がまだ短かったのだ。戦争があったから、なおさらだろう。

 

先生を慕って集い、事あるごとに支えようとする教え子たちにとってもそれは同じで、彼らにとって「金無垢」の存在である、かけがえのない先生に生きて会える今この時を、ほんとうに大切に思っているのが伝わってくる。

 

と、書いてみれば当たり前のことなのに、気づきにくくなっているのは、生きることそのものに自分が鈍くなってるからかもしれない。大ジョッキより大きなグラスでビールを一気飲みできる還暦の百閒先生より、私の方がよっぽど早死にしそうなのに。

 

映画「まあだだよ」は、先生が喜寿のお祝いの席で倒れたあと、子どもになってかくれんぼをする夢を見ているところで終わる。

 

先生の内面が直接映し出されるのは、その夢のシーンを含めてごくわずかで、他はほとんど教え子たちの目を通した先生の姿である。

 

そのせいなのか、画面の中で先生と一緒にいることの多い奥さんとの関係も、ちょっとよそ行きというか、奥さんがあまりにも良妻な感じに見えて、なんだか不思議な夫婦だなと思ったのだが、ウィキペディアなどの情報によると、映画の中で奥さんと呼ばれ、戦中戦後に苦楽を共にしていた女性は、内田百閒先生の妻ではなかったらしい。晩年になって、長年別居していた本妻が亡くなってから、ようやく入籍したのだという。

 

映画ではそういう事情は全く語られていないし、自身の著作でも書かれていないというから、想像するしかないけれども、猫のノラが居なくなっただけで、泣き暮らして食事もできず憔悴してしまうほど、感受性が強すぎる先生にとって、妻子のような生々しい存在は、神経に負荷がかかりすぎてダメだったのかもしれない。

 

明日は内田百閒の本を読みたい。

紙の本しかないけど、昼間なら読める。

 

間抜けの実在に関する文献 (福武文庫)

間抜けの実在に関する文献 (福武文庫)

 

 

 

(_ _).。o○

 

お腹から太もも、ふくらはぎ、足の先まで、冷えや痺れ、痛みがあって、だいぶつらい。亭主にマッサージしてもらっている間は少し楽になるけど、終わってしまうとやっぱりつらい。鬱血かな。明日は少し運動したい。できるといいな。