川崎の通り魔の事件報道の続報を、少しだけネットで見ている。
たくさん見ると、体調を崩しかねないので、自分で制限をかけて。
テレビはもちろん見ない。同時多発テロのときに、ずっとあの報道を見ていたら、その一ヶ月後に命をおとしかけるほどの大病をした。原因は処方薬の副作用(メルカゾールの副作用である、無顆粒球症)だったけれど、テロ報道を見続けたストレスは遠因になったと、自分では感じている。
川崎・登戸の大量殺人犯は”池田小事件・宅間守”に似ている―—精神科医の分析
https://bunshun.jp/articles/-/12099
この記事のなかに、このような犯罪の要因が上げられていた。
(1)欲求不満
(2)他責的傾向
(3)破滅的な喪失
(4)外部からのきっかけ
(5)社会的、心理的な孤立
(6)武器の入手
(精神科医の片田珠美氏による)
この記事は、片山医師の次の言葉で結ばれている。
「通り魔的な大量殺人犯の動機は、自分を軽んじた社会への復讐です。その予備軍は、どこにでも潜んでいます」
現実に、"社会から軽んじられている"人が全員大量殺人犯になるわけではない。そんなことを言っていたら、パワハラ、セクハラ、貧困などの被害者、世の中の制約のために思うに任せない何らかの事情を抱えて苦しむ人は、皆こぞって人殺しにならなくてはならない。
そう分かっていても、これは、ぞっとする指摘である。
このような性格的資質を持ち、社会的、精神的に追い込まれそうな境遇にある人を、幼少期から孤立させないようなセイフティネットが存在しうるものかどうか。
わからない。
簡単ではないと思う。
せめて、このような凶行をはけ口にしなくてはならなくなる前に、気持ちの居場所を見つけられたらよかったのだろうか。
ひたすらな他責に向かわせる怒りや、膨張しつづけるしかなくなった憎悪を、多少なりとも薄めるような、曖昧な日陰、やわらかな薄闇のような居場所が。