古典
毎日五行以上、明治時代以前の文学・文章(翻訳物も可)を読むことを日課としはじめて、かれこれ数週間、わりと維持できている。よほど体調の良くない日でも、五行程度なら読めるからだ。
今日は、「枕草子」の第六段を読んだ。
まるでコントみたいに面白い段なのだけど、以前に読んだ記憶がない。教科書や問題集では出会わなかったらしい。
「生昌(なりまさ)」という大臣の家に、中宮定子の一行が滞在することになる。
中宮の車は、新しく設えられた大きな東の門から入ったけれども、女房たちが北門から入ろうとすると、門が小さすぎて車が通れない。清少納言を含む女房たちは仕方なく門の外で車を降りたのだけど、その有様を大勢の殿上人などが見物している。そんなことになるとは思わなかった清少納言たちは、ファッションなど手抜きだったし、髪の毛などもももっさり状態だったから、腹立たしくてたまらない。
そのことを中宮定子にボヤいていると、屋敷の主人の生昌がやってきたので、清少納言はここぞとばかりに生昌をやっつけ始める。
「ちょっとあなた、よろしくなくってよ! なんでこんな立派なお屋敷に、あんなちっこい門を作るのよ! ?」
「いやまあ、分相応にと思いまして」
「でも昔、自分の子孫が出世することを見越して、大きな門をこしらえたという、ご立派な方もおりましたよねえ」
「うわっ、それって中国の于定国のことですよね! ? 私なんぞはこんな役人の道に入った関係で、かろうじて知ってはいますけど、若い者など名前も知らんでしょうよ。あなた、ほんとにおそろしい女性ですなあ」
「あら、その”道”のほうも、あまりパッとなさらないんじゃなくて? 敷物を敷いていただきましたけども、みんな車からその”道”に落ちて、大騒ぎでございましたわよ」
何を言っても清少納言の絶妙なツッコミが入るので、生昌はしどろもどろに言い訳しながら退散。
自分の屋敷に中宮様をお迎えした生昌は、完全にテンパった状態であるらしく、次から次へとスベりまくる。そこに清少納言が容赦なくツッコミを入れる。中宮定子が、「あんまりいじめないであげなさいな」と、清少納言をたしなめたりするけども、完全に面白がっている。
中宮定子の一族は政治的に没落してしまう。天皇の寵愛は失わなかったものの、宮中では冷遇され、結局若くして亡くなってしまう。
けれども田辺聖子の小説「むかし、あけぼの」だったと思うのだけど、亡くなる直前の中宮定子に、「面白い人生だったわ」と言わせていたと記憶している(35年も前に読んだっきりだから、記憶違いかもしれないけど…)。
清少納言の書いた中宮定子という人ならば、そういう言葉で人生を締めくくったとしても不思議ではないきがする。
今日の健康観察その他
疲労困憊で不調続きだけど、じわじわと回復しつつある。気力も戻ってきた。
この日記アプリ、どうも不調な気がする。
「購読」している他の方の日記が更新されても、通知に入ってこないことがある。アプリの更新はしてるんだけど。(´・ω・`)