昨日の健康観察日記
共感疲労、という言葉を知った。
過酷な災害の当事者ではなくても、報道などに接しすぎて、精神的に参ってしまう症状らしい。
被災地から遠いところに住んでいる私ですら、ここのところの台風、地震の報道で伝えられる被災地の惨状ががあまりにも酷くて、見ているだけでつらく感じていた。親しい人々や、生まれ育った町が巻き込まれている人にとっては、ただ事ではない苦痛だろう。
そして、日本列島に住む人間にとって、地震や台風などの自然災害は、他人事ではない。
だから、共感ししないように心をコントロールすることは難しいけれど、心身を壊してしまってはどうしようもない。
日常していることを大切に続けて、気持ちが安定するように守っていくしかない。
なんてことを思っていたのに、昨日は午前中からお腹が痛くて、ほとんど一日中なんにもできなかった。
しかたなく、横になって本を読んで過ごしていた(トイレにいる時以外は)。
読書
楊逸「時の滲む朝」を読了。
とてもよかった。
同じ作者の別の作品も読みたい。
1989年の天安門事件で、中国の学生たち、若者達の人生がどうなっていったのかを、流れに巻き込まれていった大勢のなかの一人であった若者の視点で描いている。
あの事件があったとき、私も大学生だったし、多くの中国人留学生たちと一緒に学んでいたけれど、そのことについて語り合う機会はついになかった。いろいろな理由で、それは無理だったろうと思う。私も隣国について、あまりにも無知であった(いまもそうだ)。そういうことを、三十年近くもたったいまごろになって、強く思い知らされる作品だった。