写真家
アラーキー、荒木経惟という写真家の作品が、ずっと前から嫌いだった。
雑誌やネットなどで目に入ると、とてつもなく不快な、腹立たしいような気分になるのだ。
女性を撮影したものがとくに嫌いだけれど、静物の写真にも、なんともいえない気持ちの悪さ、おぞましさを感じて、だめだった。
今日、たまたま、KaoRi.という方が書かれた、「その知識、本当に正しいですか?」という文章を読み、長年の不快や腹立ちの理由が、一気に氷解した…と感じた。
誤解のないように書いておくけれども、KaoRi.氏がここに書かれていることを理由に、写真家の行いを批判しようとか、糾弾しようとか考えるわけではない。個々の事実がどうだったかは、私には判断の出来ないことだから。
でも、私が荒木経惟氏の写真に感じていた不快感は、この文章に書かれている、極めておぞましく利己的なモラルハラスメントに感じるものと、ほぼ同一なのだ。
作品を称賛している世界の人々には、あの作品群に、私が感じたようなモラハラの臭気は感じられないのだろうか。
それとも、誰かの魂を絞め殺して腐乱するまで放置したところからわいてくるような、腐臭や死臭めいたなにかを撮影することが、芸術を生み出す行為として黙認されるのが通例なのか。
私はあれらを、うつくしいとも、すばらしいとも思わない。
芸術の価値云々はともかくとして、まともにギャラも払わず長い年月酷使いまわすというのは、どう考えてもダメなことだ。でも、世間の高い評価や強い立場に逆らって、ダメだと言える人がいなかったのだと思う。
どんな仕事の人も、おかしいなと思ったらその時に、疑うこと、考えること、人に話すこと、離れることを怠らないでくださいね。歪んだ場所にいると、飲み込まれて正常な判断ができなくなります。だから身体の感覚を信じて、自分で自分に嘘をつかないで。若いからって遠慮しないで。新しい価値観を作っていけるのは自分たちだと信じてください。
KaoRi.氏「その知識、本当に正しいですか?」から引用
これはモラルハラスメントに対抗するための鉄則だと思う。
判断ができなくなって孤立してしまったら、もう太刀打ちのしようがない。
KaoRi.氏は、大きな痛みと苦しみを越えて、封じ込めようとする力と戦って、そのことを、若い人たちに伝えている。
頭が下がる。