朝の健康観察日記
軽い頭痛と、ふらつきと、ひどいかすみ目以外は、まずまずの体調。あ、立って動くと膝が痛いが、泣くほどではない。
昨日多少歩いて血行が改善したのか、膝以外の関節はそんなに痛くない。
読書
若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」。
一気読みになりそうだと思ったけど、違った。
なんども遡って読み直しながら進むので、まだ半分ちょっとだ。とにかくすごい小説。
東京オリンピックのときに、結婚式を目前に控えた身でありながら故郷を出奔。東京で住み込みで働くうちに、言葉と居場所を見失いかけたところで故郷の方言そのままで語る周造と出会い、結婚。
ひたすら周造によりそい、二人の子供を育てながら、周造のために、子供のために生きた三十余年。周造は予告もなく突然に死ぬ。受け止めきれない喪失感のなかで、気づく。
「……おら思うども、人のために生ぎるのはやっぱり苦しいのす」
母が重すぎると離れていって音信のない息子。
兄ばかり大事にすると恨んで離れていった娘。
孤独につけ込み金を奪っていった振り込め詐欺。
ネズミのたてる音の止まない古い家。
人のために生きた結果が、この孤独だ。
自分の内にびっしり生えた絨毛突起のような無数の自分がバラバラに自分を語り人生を語り、分析し、揶揄し非難し話の腰を折り肯定し否定し沈黙する。
統合性を失いどこまでも細切れになっていく自分は、それでも人生の過去から今にいまるまでの大きなうねりのなかで全て共に、同じように翻弄されてきたものだからこそ、大きな悲しみの中では声を一つにして、壮麗な合唱曲のクライマックスのように声を合わせて嘆く。
まだ半分なんだけど、どうなるんだろ、この小説。
こわいよマジで。
マンガ
「おじさまと猫」
泣けた。
おじさまは、妻に先立たれている。
子供は2人いたようなのだけど、疎遠になっているようだ。
「おらおらでひとりいぐも」の主人公と違って、おじさまは亡き妻の声を聞き、友だちや職場の人やペットショップの店員さんや、親友と語り、ピアノを弾き、猫を愛し愛されながら暮らす。
似ているようで、まるで違う、残されたものの孤独。

