昼間の健康観察日記
午前中、子どもたちと一緒に教会学校へ。
その後買い物。
なんとか乗り切った。
お腹と背中に貼るカイロを装備。
背中があったまると、少しづつ元気が出てくる。
しかし立ち上がるときの膝の痛さが、今日は厳しい(;.;)。
足全体の筋力が落ちているのも痛感する。
無理のないように、鍛えないとまずい。
読書
私が逃げ回って読めずにいた小説のなかの一つだ。(情けない)
逃げ回っているのは、泣くと分かっているから。痛ましくて、つらくて、もう何年も前に書かれた小説なのに、亡くなってしまう主人公になんとか助かってほしいと思ってしまうだろうから。
殉死、殉教という激しい生き方、死に方には、どうしても抵抗がある。
自分はともかく、自分の大事に思う人がそういう道を選んだときに、それを受け止められるような素地は私の中にはない。
そもそも新約聖書自体が、私にはつらい一冊だ。
母親の前で、何人もの親しい弟子の前で、あのような殺され方をした人にたいして、それを見届けなければならなかった人々が、「罪を背負って死んでくれてありがとう」と、晴れやかな顔で言えただろうか。その感謝の思いは、血を吐いて胸が裂けるような痛みを伴うものではないのかと、思ってしまう。
「塩狩峠」でも、信仰心を持つ青年が、暴走した客車に乗り合わせてしまった多くの人を助けるために、自らが列車に身を投げ出して、犠牲になるのだという。
若いころだったら、とても読めなかったろうと思うけれども、いまならどうだろうか。
ちなみに「塩狩峠」という小説は、椎名林檎氏に大きな影響を与えた作品であり、本の帯に文章も寄せているのだとか。
検索すると帯の写真がいくつか見つかるのだけど、小さすぎて活字が見えない(;.;)。
椎名林檎の曲にはどれもうっすらとした死の気配があるけれども、それも三浦綾子作品からくるものなのだろうか。
ちょうど「ありあまる富」を車でよく聞いていたころ、川崎市中一男子生徒殺人事件が起きてしまった。全く関係のないはずの歌詞と、事件で犠牲になった男の子の心情や、彼の亡くなったことを悼む人たちの思いに重なる気がして、どうしようもない気持ちになりながら、それでも何度も曲を聴いた。
好きな曲だけれども、やはり歌詞をかみしめると、心が痛い。
今読みかけている石牟礼道子の「苦海浄土」を読み終わったら、次、「塩狩峠」に行こう。
それにしても、聖書、字が小さくて老眼には厳しい。(号泣)
自宅で読むときは、もっぱらKindle版だ。
拡大できるし、バックライトがあるからラクに読める。
Kindle版で、99円。
電車
「塩狩峠」の話のあとに、どうかとは思うけれども。
女性専用車両が物議をかもしているらしい。
女性専用車両が出来てしまった最大原因は悪質な痴漢行為であるのだとか。
とにかく痴漢行為の数が多い、頻度が凄いという話はよく聞く。
撃退するために手にまち針を握って電車に乗る高校生もいるのだそうだ。たいていは刺すと逃げていくそうだけど、中にはそれでもやめないやつもいるという。いろんな嗜好の人間がいるだろうから、決定的な撃退法というのはなかなか見つからないのだろう。歯がゆいところだ。
私は電車に滅多に乗らないから、被害を受けたことがない。
(ちなみに女性専用車両を見たこともない。)
娘たちも幸いにして、痴漢行為には遭遇していないという。
けれども末っ子は通学に使っている電車の中で近くに立つ女子生徒に対して痴漢行為に至ろうとする「手」を目撃したことがあるという。
末っ子が黙って「手」の持ち主をギリギリと睨み付けていたら、そいつは行為に至らずやめたとのこと。ほんとによかった。
娘の親であるから痴漢なんぞ法の裁きなど待たずに全員天に召されてくれないかと思う気持ちはなくもない。直接的に反撃してすごすごと引き下がるような者ばかりでもなかろうから逆恨みも怖い。個人の防御対策だけでは、安全を保つのは難しいように思う。
そして、ラッシュ時のひどさを思えば「女性専用車両」に反対する人たちの気持ちも分からなくはない。
男性にだって体の具合の良くない人や疲れている人もたくさんいる。
それに、痴漢をする男性なんて、全男性のほんの一握りもいないはず。そんなものと一緒にされるのは腹立たしいというのは、とてもよく分かる。
女性車両は「プラチナ車両」とか「やさしい車両」とか、「隣人愛車両」とか「ほほえみ車両」とか、何かに別の名前に変えて、防犯カメラをきっちり設置の上、一般車両でも迷惑行為に対する通報機能を助けるような設備を作るとか、何かもっと普通の通勤客の分断対立を生み出さないような工夫がされるといいのにと思う。
話はそれるが、中学高校の女子の制服。なんでスカート限定が多いんだろう。
そのあたり、そろそろ選択制が一般化していいと思うのに、なかなか声が大きくならない。選択制になっても、選ぶ生徒が少ないという話もネットで見かけた。スカートとズボン、両方用意する負担のこともあるだろうけど、女子の十代というと、学校集団のなかで自ら望んで少数派になることを好まない年頃だから、仕方が無いのだろう。