今朝の健康観察
とにかく起き上がるのが辛かった。
どこもかしこも痛いし、頭は金属の塊みたいに重いし、足を動かそうとしても、簡単には動かないし。
うなりながら、なんとか立ち上がって、お弁当作った。息子の出かける準備もした。末っ子が学校のプリントを持ってきてけど字なんか見えない。かすみ目炸裂。夜の間に目のまわりもが冷えたか。
惨憺たるありさまだけど、出かける用事がある。
休みたいけど、今日は出かける予定。、
読書
橋本治の本を、まだ読み終わらない。
ちょっとよむと、考え込んでしまうのだ、
飄々と書かれているけど、内容は重い。
とりとめもなく、せわしなく続く日常のなかで、ともすると、ゲシュタルト崩壊して擬態をかましている、「老いる」ということを、身の内の実情、実感から解き明かされるから、逃げ場がなくなる。重いよマジで。(´・ω・`)
老いから逃げたいわけじゃない。
でもそれを刻々と感じていたら、やっていけない日常がある。あるんだけど、その調子でやってると、倒れるよ、どうにもならなくなるよと、動かしがたい事実を持って教えられる。
誤魔化しようがない。
朝起き上がるのに、毎度、アルプスの崖っぷちで「クララが立った」ような騒ぎをやっていて、そのまま「これまで通り」が続くわけはない。老いて、傷んでいるのだ。
橋本治は、老いることをしなければ自分は出来上がらない、みたいな意識で老いを「アクの蓄積」のように受けいれていき、老いたら貧乏になって当然という意識のせいか、バブルが弾けてから値段が下がる一方となる億ションを買わされて、親の実家の建て直しまで引き受けて、買った家では担保に足りないというので何千万円もあった貯金も全部失って、一億稼いでも税金に食われてしまい、月々の返済額が150万円などという、無理な生活をしているうちに、人が定年を迎える時期に、抜き差しならないレベルに達してしまった蓄積疲労が治る見込みのない難病に形を変えて襲ってきた、という人生を歩んでいる方である。
そのことになんの後悔もなさそうだけど、本当のところはわからない。でもそういう働き方をして、作家に必要なにかを手に入れたというのだから、そうなるべくしてなったかんじなのだろうか。そんな書き方がされている。
でも、
その時には気づきませんでしたが、人はオーバーワークが重なって、それが当たり前の状態になってしまうと、「出来ません」ということが言えなくなるのです。
と書かれているのを読むと、そのまま行ってしまったら、老いを飛び越えて死の淵へダイブするとこだったんだろうなと、確信をもってしまう。
そういうところに入り込むと、人は後一歩で過労死です。
と、ご本人も書いておられる。
危ない。
こういう疲れ方をしているひとのかかる病気が、免疫系疾患なのは、ほんとうに納得する。理屈を知っているわけではない。そういう人が多いのだ。自分もそうだったし。
精神的に痛めつけられているところに、無理して無理して、無理すればなんとななるという根拠のない桃源郷みたいなものを希望に据えて、気がつけば一歩も動けなくなる、というのを、三十代に一回経験していたのに、五十過ぎてもう一回やらかした。
いまだに自分はラクさせてもらっていると思っている。子どもたちもだいぶ手を離れたし、三十代や四十代のころとは負担量が全然違うのも事実。老いと疲労の蓄積を計算に入れないから、まだいけると思ってしまう。でも無理だった。
橋本治の、この本は、ほんとに重い。
でもちゃんと読み通そう。
変態侯爵やオフィスラバーズの話に寄り道しそうにるのは老いの話が重いからだけど、寄り道しながらでもいいから、ちゃんとわかっておこう。
バイプレイヤーズの大杉漣氏の突然のご逝去は、ショックだった。ドラマ見ていて、すごくお疲れのように思っていた。それはきっと演技だけじゃなかったのだろう。ご冥福をお祈りする。