湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

貼るカイロ療法。。

昨日と今朝の健康観察

 

貼るカイロでひたすら関節を温め続けている。

 

両膝の裏。

膝の裏側。

それから、腰の上あたり。

 

 

膝の裏をあっためると耳の奥があったかくなる現象は、まだ続いている。あたたまった血が耳付近をめぐるのだろうか。とても不思議だ。

 

 

温め続けていたら、立ち上がるときに、あまり膝が痛まなくなってきた。朝の寝起きの動作にも、「いてててててててて」の掛け声が不要になっている。何年も苦しんでいたのに、こんなに簡単に楽になるものなのか。

 

 

貼るカイロ代がちょっとかかるけと、病院や整骨院に火曜よりは安い。

 

 

肩甲骨の間にも貼りたい。そこの冷えが残ってるのを感じる。これ書いたら貼ってみよう。

 

 

映画

 

「セッション」という映画をみた。

 

 音楽学校でドラムを学んでいる青年が、才気走った鬼教師が率いるバンドのメンバーに抜擢されるけれど、教師の指導は苛烈を極め、執拗な人格攻撃や存在否定のシャワーを浴び続けて心が壊れてしまう学生も出てくる。教師の指導は、一時代にほんの一握り出現する、類まれな天才奏者の育成のみに焦点が絞られているのだった。

 

 

というわけで、全編を通してたいへん感じが悪い、音楽の楽しさなど全く感じられない映画であった。主人公の青年も、音楽的な高みを求めるあまり利己的になり、血まみれになるまで演奏する姿は妄執の成れの果てのようにも見える。

 

そこまでの苦痛と自己の存在を全否定するような危険で不幸な試練がなければ最高の演奏は生み出せないというのであれば、学校でそれを求めて学生の大多数を潰してしまうののはそもそも理不尽なのであって、もう世間のいたるところにある不幸な境遇に才能の育成を委ねてしまえばいいように思ってしまう。多くの天才の天才性は、学校ではないところで育まれているのだろうから。

 

天才は真っ当な学校では育たない。

天才を育成するような場は凡庸な才能の人を殺しかねない。

 

ということだけを言いたい映画ではないのだろうけど、そういうことばかりが目に付いた作品だった。