Twitterを眺めてたら、「#あたしおかあさんだけど」というタグをつけた発言が、いくつも流れていった。
発端は、「#あたしおかあさんだから」というタグで拡散した歌であるらしい。
その歌が反感を呼んで、「~だけど」となったもののようだ。
掲載されている歌詞を読んでみて、うーん…と、考え込んでしまった。
歌われている気持ちは、分からなくもない。
でも、母親になった苦労って、こんな幼稚な(失礼!)我慢をすることだったっけ…。
もっといろいろなことが、あると思うんだけど、歌詞を書いた方を叩きたいわけじゃないから、これ以上は書かない。短い歌詞のなかに込められなかった思いも、きっとあるのだろうし。
我慢しなくちゃならないことは、別に母親にならなくたって、いくらでもある。
治りにくい病気になったら、あるいは歳をとって健康を少しづつ失っていったなら、それだけで、もう生活は我慢に縛られる。
自由がきかないことがたくさん出てくるかわりに、身につくこと、学ぶことは、ほんとうに計り知れない。まあ、そう思わないとやっていられないっていうところはある。
でも、縛られながら身についた知識や経験が、とんでもなく生かされる場面に遭遇して、無駄なことなんてなかったなあという感慨に至るとき、いい年した私などでも、
えっへん
と、心の中で盛大にドヤ顔したりもするのである。
(幼稚です)
「あたしおかあさんだから」の歌の中の女性も、いつか赫々たる育児経験者として、若い母親たちの支えになったり、ときにはウザがられたりするようになるのかもしれない。そう考えると、ちょっと楽しい。
言葉
たった今知ったのだけど、「赫々たる」って、「かっかくたる」と読むのだった。
ずーーーーーーっと、「かくかくたる」って読んでた。
そして「赫々たる育児経験者」っていう使い方は、一般的じゃないのかもしれない。
普通「赫々たる武勲」とか「赫々たる戦果」のように使うものだろうから。
でも、育児って、ある意味戦闘だし、家の中はわりかし戦場だから、いいんじゃなかろうか、という気もする。
あとで改めて辞書引いてみよう。
元気だったら。
↓いちばん好きな国語辞典は、これ。