夜の健康観察日記
とにかく冷える。
午後からやたらとお腹が痛くてつらかったんだけど、たぶん冷え(血行不良?)のせいだと思う。お腹に貼るカイロはりつけたら、おさまってきた。
家族のなかで寒がってるのは、私一人だけ。
子供たち(といっても上の二人は二十歳過ぎてる)三人は、半袖短パン。室内温度は、たぶん15〜17度くらい。どうかしてる。(´・ω・`)
だるくて咳も出るから、今日もずっと、おとなしくしていた。
ラクガキ
ネットで見かけた絵を真似して鉛筆で描いてみたけど、途中でお腹痛くなって気力が続かなかったので、画像加工アプリでごまかした。
難しい。ゆがむ。
練習してたら、ちょっとはマシになるのか?
雑誌
わざわざ取り立てて書くこともない気もするけど、読んだことをメモ。
2月8日号の週刊文春を、チラ読み。
林真理子氏の「夜ふけのなわとび」という随想に、小室哲哉氏の会見をみて、引退は文春のせいだけではないと言外に匂わせていると思うのは身内びいきか、ということが書いてあった。
私にもそんなふうに聞こえた。
むしろ、言外でもなかったんじゃないかと思う。
もちろん当事者の本心はわからない。
あとは皇族のかたの結婚問題のスキャンダルとかの記事があったようだけど、興味もないので頭を素通りしていった。
言葉
同じ週刊文春の連載小説のページを開いたら、
「それは屁理屈でしょう」
という会話文が目に入った。
(堂場瞬一「ラストライン」)
屁理屈は、「屁」➕「理屈」だけど、同じように「屁」をプラスして作られた言葉ってほかにあるだろうかと思って考えたけど、思いつかない。
屁理論……聞いたことはない。
屁学問……ない。
屁論理……ない。
屁条理……ない。
「屁」って、意外と使い回しのきかないもののようだ。
とりあえず、「不条理」の劣化版として「屁条理」の新設導入を提唱したい。
小説のほうも、ちょっと面白そうだったので、また読んでみよう。
自殺した娘が養子であることについて、警察に根掘り葉掘り質問されている父親が、なぜか質問を疎んじて「それは屁理屈でしょう」と言って、シャットアウトしようとするシーンなのだけど、そういう状況で「屁理屈」という言葉が出てくる父親は、だいぶ怪しい気がする。
「屁理屈」は、屁のように疎ましく、極力嗅ぎたくない、すなわち自分から遠ざけたい、できることなら屁と同等に軽んじて追い払うことでかかわりあいを避けたい感じるような言論だろうけれども、たかが屁ごときを嗅がせられることで揺らいでしまうのうな弱点を抱えた者にとっては、全力で扇ぎ払いたいものとなることもある。屁理屈に怒る人は、実は案外屁に弱いのだ。