感傷と偽善のミスマッチ
これは、企画した人の失敗だと思う。
「醜悪」と受け止められるのは、この「ツリー」が、引っこ抜かれてさらし者にされた後で細切れにされて売りさばかれることが決まっているからではないと思う。
すでに多くの方々が指摘しているけれども、看板と中身が、ねじれて気持ち悪いことになっているのだ。
類似のたとえが挙がっていたと思うけれど、
食肉用の動物を美しく着飾らせて「命の大切さ」を訴えるイベントのキャラクターとして大々的に使ったあと、「かけがえのない命をいただく」みたいなキャッチコピーを添えた「生前」の写真を貼り付けた缶詰に加工して、割高な値段で通販する
みたいな悪趣味さを感じてしまう。
Twitterでも、批判のハッシュタグが作られて、企画の関係者に向けて、たくさんの抗議のつぶやきが書き込まれているようだ。
下は企画を紹介する記事なのだけど…
クリスマスツリーを彩るイルミネーションでは、生木の持つ生命力を表現。木の幹に触れると、ドクドクと脈打つような仕掛けが施され、同時に木の照明が明滅し、まるで木全体が呼吸をしているかのように見える。またエアプランツトンネルも、ツリーに合わせて呼吸するように、そしてトンネル全体が意思をもっているかのように、有機的な動きをもった光の演出が施される。
こんな、血の通った動物めいた演出をほどこして、「輝け、いのちの樹」とうたいながら、使用後は切り刻んで販売では、おかしいと感じる人が多いのも、無理はないと思うのだ。
私も、どちらかというと、この企画には共感できない。
古い自然を破壊した上で暮らしている身であるから、樹齢150年の木がかわいそうなんてことは、言わないし、言えない。
でも、こんな奇妙な祭り上げられ方をする樹木を、見に行って感動できるとは、とても思えない。
いっそのこと、この企画の目的を、
「人間が、何ものかを犠牲にして経済活動を行うときに胸に抱くことがなくもない、いささかの忸怩たる思いを、偽善と感傷で美しくコーティングしようとすると、いかに奇妙なことになるかを、貴重な樹木と巨額の予算を投じて実現してみせるため」
としたら、悪趣味なのは同じだとしても、よほどすっきりしそうではある。
かわいい子豚ちゃんの物語を読んだ夜に豚汁をおいしくいただけるのは何故か
だけど、こういうことを、こんなふうに悪趣味と感じるのは、幼少期から擬人化された動植物の物語を注ぎ込まれ、そこに感情移入するように教育されてきているからなのかも、と思わなくもない。
そして、そういう感情移入を当たり前のこととしつつも、たいていの人は(日本人は)、そうした物語と、食卓にならぶ食材とは、切り離して考えることができてしまう。
いや、切り離しているのではなく、あえて反応しないように、物語と食材を直結させてしまう脳の働きを、局部的に麻痺させているのかもしれない。
上のツリーの企画は、その局部的な思考の麻痺を、むりやりに解除してしまうだけの強さがあるから、反発を買ってしまっているのかもしれない。
いずれにせよ、この企画は、やっぱりいろいろダメだと思う。(´・ω・`)