これが百個目の記事
ここのブログを作って書き始めたのが、今年の9月25日。
一ヶ月半のほとんど具合が悪かったし、寝込んでいた日も多かったのに、ここの更新だけは欠かさなかった。
毎日書こうと決めていたわけじゃない。
寝ていて、他にできることがなかっただけだ。
多分、まだしばらくは、思うようには動けないだろう。ここの記事も、同じようなペースで積み重なっていくと思う。
それが、何になるのかと問われても(誰も問わないけど)、答えは用意していない。
健康観察日記である、という名目はあるけれど、実のところ、正確に体調を記録しているわけでもない。本当につらいときには、それを書き留めることをしていなかったりする。
ここは、理由なく続くブログだ。
それでいいと思ってる。
書きたいから書く。
ただ生きることにさえ、わかりやすい価値や理由をくっつけなくちゃならない世の中の空気(見えない圧力?)みたいなものへの、ささやかな抵抗……ということにしておこう。
でも健康観察はつづけるのだった
まず昨日の状態。
【関節たちの抵抗、脳のストライキ】
カウンセリングの日だったので、病院に出かけたのだけど、行き帰りの移動が、びっくりするほど辛かった。
全身の関節、とくに手、肘、肩が、かなり痛む。
バッグを手で持っても、肩に下げても、1分と耐えられないから、1分以内に持ち替えてしのいだ。
右手、左手、右肩、左肩のローテーション。
後ろから見てるひとがいたら、「こいつ、何をせわしなく物を持ち替えながら歩いているのか」と、怪訝に思ったかもしれない。
痛みだけでなく、歩く動作を続けること自体が、ものすごくつらかった。これは、身体の不調というよりも、身体動作をコントロールしている脳の不調だろうと感じた。もうやだ、動かしたくない、移動で移り変わる周囲の景色も、通り過ぎる車の音も、わずらわしくてたまらんと、駄々をこねているのだ。
これって、鬱のせいなんだろうなあと思いながら、なんとか移動し、カウンセラーさんとの面談で近況を語るうちに、なんだか涙がでてきた。
とくに悲しい感情もないのに、私の預かり知らないところで、身体か脳か、どっちだかわからないけど、泣きたくなっていたようだ。
昼過ぎに帰宅して、お昼を食べたら、もう起きていられなくなり、夕方まで熟睡。
夜、お腹は空いているのに、食欲がない。
このごろ、ときどきほんとに食べるのがめんどくさくなる。それでもなんとか、最小限を口に入れる。
夜、聴覚過敏がひどくなり、まともに眠れそうになかったので、リーゼ錠を服用して就寝。朝9時ちかくまで、爆睡。
で、今朝の体調。
【全身重いけど、かろうじて稼働可能】
しっかり眠れたからか、ちょっと復活した。
今日一日無理しなければ、明日はもっと楽になるだろう、たぶん。