「者」という漢字は何かを焚いている象形
唐突な見出しだが、今朝のテーマだった。
神奈川県座間市の事件。
友人たち(主にネトゲの主婦仲間)に、あなたはあの事件の報道を絶対にみてはいけないと、散々釘を刺されまくって、自分でもかなり注意してたのに、今朝の新聞で、うっかり目に入れてしまった。
被害者のなかには、適応障害や、引きこもったような状況にあって、なおかつ希死念慮のある人たちがいたらしい。
そういう、ネット以外での世の中との関わりの薄い人、そうならざるを得ない人を、言葉巧みに連れ込んで、殺害に及んだのだという。
さすがに犯行の状況を詳しく追うことはしなかったけど(無理)、強く感じたのは、
これは殺人というより、もはや屠殺ではないのか
ということだった。
その凄惨で救いのないイメージは、昨年の相模原の障害者施設の事件とも重なるものだった。
施設の事件とは違って、今回の被害者の中には、死を望んでいた方々もいたのだろう。
でも、あれは人の死に方ではない。
けものの屠殺だ。
人として死ぬことすら否定して死にたがっていたのであれば、共に死ぬ人を求めるはずもない。のぞみの死に方では決してなかったはずと思う。
そう思い至った時点で、もうどうしようもなく気持ちが悪く、リアルで吐きそうなほど受け入れ難くなってしまったけれども、頭に入ったものを嘔吐する方法はない。
となると書くしかないわけだけど、ただ日記(ここ)に書くだけでは何かが足りない気がして、短歌を詠んで葉書に書き写し、その報道を掲載してる新聞社の歌壇に送った。
ろくでもない歌になったし、掲載はされないだろうけど、選者の方々や、一部の記者の方の目には触れるだろう。メディアに関わる方々に、ああした事件を、ほかの「殺人」事件と等しく考えないでほしいという気持ちから、そうした。
「屠る(ほふる)」に「者」が入り込んでいるわけ
それにしても、「屠殺」という言葉は、人外の生き物、けものを殺すことを言うものなのに、なぜ、「屠」の漢字の中には、人を表す「者」があるのかと、不思議に思った。
元気なときなら、漢和辞典をさっさと引いて調べるのだけど、元気ではないし、関節も痛いから、大きな本を書斎の書架から取り出す気にならない。しかし今日は休日。書斎の主(亭主)が在籍している。聞くのが早い。
「あのさ、者っていう漢字の成り立ちって、どうなってるの? 象形なの?」
「んー……象形やね。台の上に柴を集めて燃やす形で、煮の字の原型やと」
って、辞典引かずにネットで検索してる。まあいいけど。
「てことは、煮炊き、料理だったりするのか。それがなんで、人を表す意味を持ったの?」
「同じ読みの別の言葉の当て字として使ってるうちに、その意味を持ったんやろね」
「ふーん」
「者」は「煮」と同じものだったと。
屠殺の「屠」は、それに「尸(しかばね)」をかぶせている。
そこから浮かんでくるのは、肉をさばいて料理する光景である。
それは普通、人肉ではないし、この文字の中の「者」も、火を焚いている光景であって、人間ではなかったのだ。
者・煮・屠
座間の犯人は金銭奪取目的で、犯行を行ったという。
相模原の施設の事件の犯人は、障害者を大量殺戮することの見返りとして、億単位のお金を政府にねだろうとしていた。
金銭目的の強盗殺人と、似たようなものであるのかもしれないけれども、どうしようもなく違うと感じるのは、やはり被害者が人間ではないものとして「屠られている」と感じてしまうからだろうか。
人間の尊厳、生存権を、法律がこれでもかというくらい言葉を尽くして定めている理由が、よくわかる。
法律がガチガチに頑張らないと、簡単に「人間を屠る」ような事態になってしまうのが、人間の社会なのだ。
ハンディのある人への社会保障について「税金の無駄だから」と、おおっぴらに生存否定する人はめったにいないだろうけど、匿名のネット発言ならごっそり見つかる。
そういう方々について、「屠殺系」と、こっそり名付けておくことにしよう。
で、健康観察はどうしたのかと
忘れてた。
【関節は痛いけどまずまず多弁】
短歌詠んですぐにポストに歩ける程度の機動力もある。回復傾向かな。