なんだかだるい。
風邪の気配が抜けたので、今日は家事を片付けようと動き始めたら、とたんにエンジンブレーキがかかった感じ。
というわけで、いまの体調。
【動くと発動する類いの呪いがかかっている】
だましだまし、稼動するしかないか。
選挙は終わったけれど、台風はまだ居座っている。
うちのあたりは、雨はやんでいるけれど、風が強くなってきた。
電車は不安定に動いている様子。
新聞をとってきて、選挙の結果をざーっと眺めた。
(新聞、とっても薄かった)
昨年、透析患者さんに対して暴言を書いたあと謝罪されていた、維新の候補者さんは、落選していたようだ。
暴言を書いてしまった候補者さんに、とやかく言うつもりはない。
人間だもの。失言することもある。
(凪いだ心を取り戻すための「人間だもの」的寛容さの発動は、きたないものから上品に目を背ける決まり文句にもなりやすいため、時にあざとく思われるけれども、個人を糾弾しつづけるだけだと視野がどうしても狭くなるから危険であり、その危険を回避して周囲を見渡すのに「人間だもの」はなかなか有効である、と思っているから使う)
つらかったのは、難病患者に対するものを含む、高額の医療補助全般に対する批判や否定が、一般の方々の間からうねるように起きるさまを、主にネット上で目の当たりにしたことだった。
そうしたうねりの底にあるのは、
「役に立たない人間に税金をかけるな」
「自分と関係のない福祉のために税金を払うのは腹が立つ」
ということであるようだった。
時期も、悪かったと思う。
あの相模原の障害者施設で起きてしまった、悲惨な事件から、そう日にちのたっていない時だったから。
おおかたの世論は、世に放たれてしまった暴言や、障害者に襲いかかった犯人を、強く非難していたと思う。
けれども、重度障害者の家族の目には、
「暴言・犯人にも一理ある」
という一部の意見が、毒針のように突き刺さって、後々まで痛みを残した。
だから、落選した候補者さんには申し訳ないけれども、落選という結果が、まだ世の中は重いハンディのある人々の生存を否定する流れにはなっていないことを数字で示されたようで、ちょっと心が軽くなった。
それにしても、税金がたくさん投入されている社会保障の制度には、大規模な土木工事に代表される公共事業のような経済効果はないのだろうか。
税金の無駄無駄と(一部の人に)言われている障害者福祉だって、障害者がそのお金を丸呑みして終わって(お金が消えて)いるわけではなく、福祉の仕事に従事している方々が大勢いて、その関連産業にも幅広くお金が流れているわけで、それは一定の経済的な効果を生んでいるはずだと思うのに、なぜそれがあまり言われないのだろう。
さて、働こう。