湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

精神疾患や発達障害と、貧困の問題

 

朝、二度寝の後、なんとなく見てしまった動画。

 


【貧困ドキュメント】生活保護受給者が送り込まれる最後の場所【刹那を生きる女性たち】

 

 

実在する、三人の女性の貧困について、報告されている。

 

清掃業と風俗の掛け持ちをして、その日暮らしを支えている女性。

 

「恋人」にだまされ、搾取されながら、風俗で働いて、一児を養っている女性。

 

解離性人格障害のために就業できず、精神科の治療を受けながら、シェアハウスの管理人として暮らしている女性。

 

 

 

生活保護受給者が送り込まれる」というタイトルがついている動画だけれど、この人たちが生活保護受給者であるという話は、出てこなかったように思う。

 

彼女たちの生活の困難さは、直接的には貧困が原因だけれども、貧困になってしまう原因が、彼女たちの抱えている個性や、送ってきた人生そのものの、根深いところに絡んでいる。

 

だから、抜け出すことが、とても難しい。

 

清掃業と風俗の掛け持ちの女性は、金銭の管理が困難な様子だった。

不要な買い物をしてしまい、収入に見合った生活をすることができない。

予定された出費(家賃など)のために、お金を取っておくことが、できない。

 

仕事の収入は、合計すれば、家を借りて暮らせるだけの金額になっているのに、どうしても足りなくなってしまう。そのために夜逃げをすることになったり、売春の現行犯で拘留されてしまったりして、生活が壊滅してしまう。

 

この人は、おそらく生活保護を受給しても、救われないだろうと思う。

必要なのは、生活管理の補助である。

風俗店のオーナーが、彼女の境遇を見かねて、お金の管理を買って出ているところまで、レポートされていた。彼女本来の気立ての良さが、ギリギリのセイフティネットになっているのだった。

 

 

二番目の、恋人に搾取される生活から抜け出せない女性は、自分を救ってくれる人に助けを求め、力を借りるというスキルがないことが、貧困から抜け出せない原因のひとつになっていた。

 

彼女本人の人生を気にかけて、母子寮入所などのまっとうな提案をしてくれる人がいるにもかかわらず、ヒモやDV男に依存する生活を、自ら選び取ってしまう。腕にはリスカの後がたくさん。人生そのものが彼女の自傷行為になってしまっている。

 

彼女の支援者が、彼女に向かって繰り返し「何を大切にしたいのか。一番守りたいものは何か」ということを問うけれども、彼女はそれに答えない。目の前に我が子がいても、その子を守りたいという言葉も出ない。何よりも、自分を守るということを知らない人生だからだろう。守られたことがないから、我が子を守るということも分からない。そういうことなのではないか。

 

この人の貧困も、お金では解決しないものだと思う。

大切にされ、守られる存在としての自分が分からなければ、どこまでの、自傷の人生を行くしかないのではないか。

 

 

三番目の、解離性人格障害の女性は、精神科の治療は受けているけれども、どうも奏功している様子がない。番組の取材中も、明確な乖離が起きて、別人格が現れている。本人によれば、乖離している間の記憶が全くなく、不意に時間が飛んでしまう感じなのだという。

 

こうした精神疾患が貧困の原因になっている場合は、暮らしを安定させるために、生活保護や、障害年金などの制度が、有効であろうとは思う。番組に出てきた三人の女性のなかで、彼女が一番、まともな暮らしをしているように見えた。

 

ただ、家をシェアしているのが、若くて貧乏なミュージシャンの男性ばかりというのが、気になった。彼らは管理人である彼女を理解して、見守っている様子はあったけれども、安定した人間関係を今後も長く続けられる存在とは到底思えない。この先、どうなっていくのか。

 

 

 

貧困の裏側に、何らかの発達障害や、異様な生育歴などからくる精神疾患がある場合、お金で解決することは難しい。けれども行政によるセイフティネットは、そこまでの面倒は見てくれない。

 

 

どうしたらいいのか。

 

こうした問題にとりくむNPO法人は、いくつも出来ているようだ。

(貧困、女子、NPOで検索すると、いろいろ出てくる)

 

そういう場所に、必要としている人たちがたどり着けるような道案内が、まず必要なのかもしれない。

 

そしてなにより、人生のできるだけ早い時期に、自分を大事に思う気持ちを学ぶ機会を得ること。家庭にその機能がない場合に、それを請け負う場があることが、望ましいのだろう。

 

 

 

それにしても、貧困問題の動画や記事に、当事者を叩くコメントが盛大につくのが、見ていて悲しい。無理解が、彼女たちをさらに追い込んでいくのかもしれないのに。

 

 

こういう動画に、つい深い思いを抱きながら見入ってしまうのは、自分が発達障害精神疾患と縁が深い生活をしているからだと思う。いろいろな話を、直接間接に聞く機会があって、他人事とは思えないのだ。といって、何かをする力もいまはないから、せめてこうして、ブログに書いてみる。