はてなブックマークで、こんな記事を見かけた。
そりゃ誰だって不機嫌になることはある。
私にだってある。
でも、不機嫌を誰かにぶつけて当たり前とは思わないし、不機嫌な態度を振りまくのが良いことだとも思わない。
どうしても不機嫌にならずにいられない時には、可能ならば、身近な人に理由を説明するなどして、その人におかしな負担を与えないように注意する。
それもできないほど不機嫌が極まったときは、極力人前に出ない。
そんな風に、自分の不機嫌に注意するのは、これまで、他人の不機嫌で散々な目にあってきたからだ。
いまは鬱気味なせいもあるのか、不機嫌センサーがやたらと敏感になっていて、テレビの中の不機嫌な人の顔すら見るのもつらい。脳に刺さる。
たぶん、人の脳には他人の不機嫌に同調してしまう仕組みがあるのじゃないかと思っている。
それは社会集団を円滑に維持するのに必要な機能であるのかもしれないけど、立場の弱い人間にとっては、あまりありがたいものではない。強者の感情に自動的に振り回される仕組みとして働きかねないからだ。
この記事にあるようなタイプの不機嫌も、まさに強者の支配用ツールになっている。
言い換えると、
自分が不機嫌であるということを周囲に誇示して、不機嫌の理由については一切説明せず、立場の弱い相手に責任感や罪悪感を負わせることで、有利にコントロールしようとする手口
ということになる。
ほとんどモラルハラスメントであるとも言える。
不機嫌な配偶者や交際相手、家族などに振り回されて、心を痛めておろおろする人を、何人も見たことがある。不機嫌側は、どちらかというと男性が多いけれど、女性にもいる。
たとえどんなに社会的スペックが高くても、こういう不機嫌の使い方をするタイプの人とお付き合いすべきではない。結婚など論外である。ろくでもない不機嫌の捌け口にされて、貴重な人生を不毛の荒野にするだけだから。
問題なのは、職場の上司や同僚、家族(とくに親)など、簡単には影響下から脱出できない相手の不機嫌に囚われたときだと思う。
上の記事では、相手に自分の気持ちをきっちり伝えることを勧めているけど、そんなことで変わってくれる相手でないことのほうが、多いはずだ。
相手が変わらないなら、こちらが変わるしかない。
相手の不機嫌に振り回されない 、根こそぎ支配されることのない自分になる。これしかないと思う。
わけもなく不機嫌になって見せる相手の、機嫌の尻拭いなど、一切しない。
自分の側に非があって、それが相手の不機嫌の引き金になっていると感じる時でも、その非を超える不機嫌については、きっちり無視する。
相手の不機嫌に本能的な恐怖を感じてしまう場合は、とても厄介だけれど、なんとか自分の味方を見つけて、恐怖に負けないようにしていかなくてはならない。
一番厄介なのは、そんな不機嫌を振り回す相手に、なんらかの形で依存して、納得してしまっている場合だろう。
「この人は、私がいないと(不機嫌すら解消できなくて)ダメだから」
こういう方に、言うべき言葉はないけれど、長年の不自然な関係性の果てに身体を壊したり、鬱になってしまったような時には、それをチャンスとして、なんとか考え方を変えてほしいものである。