湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

人付き合いで困ったこと覚え書き

 

はてなブックマークをちらちらと見ていたら、こんな記事を見つけた。

 

 

anond.hatelabo.jp

 

お、便利な機能。

ブックマークを切り抜いて貼れるんだ。

今後活用しよう。

 

この匿名ブログの方が書いてる「もやもや」、私のリアルには、かなり充満してる。

気をつけていないと、周囲に集まってくる人のほとんどが、こういう具合に「話題を勝手に持っていく人」ばっかりになって、ストレスこの上ないことになる。

 

たぶん、見た目柔和だから(ほんとか?)、御しやすく思われるのだろうなと想像している。

 

ただ話を持って行くだけならまだしも、会話のなかのキーワードをことごとく個人的な愚痴や怒りに結びつけて、攻撃的になる人だったりすると、とてもたまらない。

 

これまでに出会った、この手の人のなかでも、魔王クラスの事例が、これ。

 

 

「(自己紹介中)子どもに重い障害があって、育児がちょっと普通じゃない感じで、大変で…」

 

「あなたね! そういう言い方は子どもに失礼なんですよ! 障害があるから何だっていうんです? 普通じゃないっていう言い方は差別ですよ!! 大変って、育児なんて誰だって大変なんですから! 障害児の親が自分の子どもを差別するとか、最低でしょ!」

 

ネットではなくリアルの初対面で、しかも勝手な思い込みで、ここまで怒鳴るか、という感じ。(~_~;)

 

ほんのちょっとの言葉の使い方で、子どもの親を「差別主義者」と決めつけられるって、すごいと思う。

 

障害児の育児は、どうしたって「普通」にはいかない。

うちは重度の自閉症だったから、「普通」に子どもたちが通うような幼稚園や家庭保育園は、入園を断られた。

知覚過敏がすごくて、「普通」に近所のスーパーに買い物につれていくことも難しかった。

四歳になっても、ちょっとのことでパニックを起こすから、手を引いて道を「普通に」歩くことが難しかった。

 

 

この「普通」の使い方は、差別だろうか。

人によっては差別と思うのかもしれない。

「普通」っていう言葉の怖さも、私はそれなりに知っている。

 

でも当事者の言葉尻を捕まえて短絡的にそう決めつける人の大半は、たぶん障害児の育児について全く何も知らない人たちではないだろうか。

 

そもそも、乳幼児期の障害児育児の当事者には、言葉の使い方などあれこれ気を遣って「私は差別主義者じゃありません」というラベルを明確にするための手間暇をかける余裕なんか、微塵もない。

 

理解のない人からの同情がほしいわけでもなければ、理不尽な罵声を浴びて耐える義理もないと思ったから、上に書いた怒鳴る人に出会ってから、他人に子どものことを聞かれても、よほど親しくなってからでないと、話さないようになった。

 

障害者差別を糾弾する人のせいで、障害者の話題が世の中に出にくくなるという、皮肉な事例だ。

 

非常に残念なことに、こういう「困った正義の人」、世の中には結構いる。

 

SNSなんかでも、私が子どもの母親だというだけで、変に絡んで叩いてくる人がいて、何だろうと思ったら、自分が母親に虐待されていたという方だった。子どもと一緒に絵を描いた、という日記を書いたときには、

 

子どもの描きたい気持ちを踏みにじって自分の描きたいように描かせようとする、悪しき教育ママ

 

と断言された。日記の内容は、むしろ全くその逆だったのに。(´・ω・`)

でも、たぶんその人が、そんなふうに自分の母親につぶされてきたのだろうなと思ったら、何も言えなくなった。

 

こういう人たちは、自分の心の中にある強大な敵と戦っているつもりで、目の前にいる無関係な人間を、サンドバッグの代用品にしているのかもしれない。

 

出会ってしまったら、そっと遠ざかるしかない。

反論したって、思いたいようにしか思わない人には、こちらの言葉は伝わらないから。

 

でも、彼らはいつまでああやって戦いつづけるんだろうと思うと、とてもさみしい気持ちになる。勝つことなんて、不可能なのに。