気が落ちこまない映像作品を見たくて選んだ映画。
予備知識全くなし、ホルモーが何かも全く知らずに見始めたから、主人公たちのホルモーとの遭遇には心境的にかなりシンクロできた。何あれ。おかしいって。
まあ主人公の名前が安倍明だったり、舞台が京都なあたりで、そういう話だと気づいても良かったけど、大学のあの幼稚で生臭いカオスっぷりの描写にデフォルメが効きすぎてて、軽く身悶えしたくなるような気分でいるところに、いきなりホルモーがくるから、完全に虚を突かれた感じ。
大学って、ああだったなあと。
なんにもない、何者でもない自分を放り込んで、散々な漂流の果てに、何か見つける保証なんかなんにもない時期。
いまにして思う。
あんなモラトリアムな時間を子供に過ごさせるために、よくまあ親は金出したよなと。
確実なものなんて、何もない。
お金や時間をかけたところで、報われるかどうかは誰にもわからない。
ホルモーがなくても、学生はみんな頼りない自分を前線に置いて、戦ったり傷ついたり仲間割れしたり和解したり、そのどれにも関わらなかったりしながら、自立の時をいずれ迎える。
そんなもんだよな。
自分の子供の世代だって。
金だけだして、あとはホルモーごと、世に放っておくしかないのかな。