湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

息子の言葉…

2009年01月16日 夜


今日の息子(11歳・重度自閉症)。

午前と午後の療育、公文の課題、平然と全部こなしていた。


ほんとにタフになったと思う。

 

午前の療育は学習中心で、足し算や漢字をよく頑張っていたようだ。


三時間目が終わるころに、登校。
クラスのみんなは書道をしていた。
四時間目に、お買い物に出掛ける授業があったようだ。


給食ではラーメンを三人前ほども食べたとのこと。

 

午後は、どちらかというとコミュニケーション中心の課題と、お絵描きの練習。療育後の面談で、詳しく様子を聞いた。

 

音声の出るコミュニケーションボードを使って、お菓子や飲物などを求める要求表現をずっと練習しているのだけれど、次第にボードを使わなくても自力で言葉が出るようになってきているようだ。教室での練習の成果は家庭でも生かされていて、


「○○が たべたい」


という言葉が、一日に数回は聞かれるようになっている。汎化が進んでいるのだ。


以前にも書いたように、名詞単独で記憶するのは大変だけれど、動作のイメージのはっきりした動詞文として頭にいれることは、比較的ラクなのだと思う。名詞はとにかく結びつく頻度の高い動詞と組み合わせて教えるようにしようと思う。


最近気になっているのは、時制の問題だ。

息子は、過去の出来事を叙述するということが出来ない。そういう発想が、いまのところ全くないように見える。

 

だから、


「今日の給食、何だった?」
「バナナ、食べたの?」


というような質問には、大抵の場合、無反応を貫く。オウム返しもしない。質問の意味が分からないのだと思う。


もしかしたら、過去、あるいは動作や状態の完了という概念が弱いのだろうかと思っていたのだけれど、そうでもないらしいことが、今日の先生の話で分かった。


先生の発案で、プリント課題をするときに、終わったプリントを、「できました」という貼り紙のある箱に入れるようにしてあったのだが、それが功を奏して、何かの動作が完了すると、


「できました!」


と報告できるようになっているという。

 

「できました」という表現自体は、以前から記憶はしていて、促されて言うことは出来ていたのだけれど、いまは自力で状況を判断した上で、自発的に口にできるようになったのだ。


つまり、息子は、動作の「完了」については、ちゃんと「分かって」いるということである。

 

脳内において、日本語の「完了」から「過去」への道のりが、一体どれほどのものであるのか、私には分からない。

 

日本語の場合、動詞の語形が「~た」で、全部同じになるから、余計に分かりにくいようにも思う。それともこの問いかけ自体、ナンセンスだったりするのだろうか。文法は苦手だ(文法論で書いた自分の修論の題目を忘れていたくらいだし)。

 

 

(✳︎過去日記を転載しています)

(転載日……2026年1月16日)