湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

正午の万葉集

今回は、ちょっと地味系の歌を眺めてみたい。


学校の授業などで万葉集を読まされたころ、「こんなつまんない歌のどこがいいわけ?」といいたくなるような歌、結構見かけなかっただろうか。私は見かけた。たとえぱこんなの。

 

日置少老歌一首

 

縄乃浦尓 塩焼火氣 夕去者 行過不得而 山尓棚引 (354)

 

なはのうらに しほやくけぶり ゆふされば ゆきすぎかねて やまにたなびく

 

 

意味は、表面的には、とても分かりやすい。


「縄の浦で塩を焼いてる煙が、夕方だから流れすぎていかないで、山に棚引いてます」


だから、それがどうしたっていうの? 
その退屈な話のナニがおもしろいわけ?
おっさん、あんた何が言いたいの?


こういう叙景の歌を見るたびに、高校生だった私は心の中でそうツッコんでいた。

 

しかし国語の教師は「風情があるんだなあ」という以外のことは教えてくれず、辞書引いてみても、手がかりらしきものはない。

 

上代って、つまんない。
そういう先入観が一首ごとに積み重なっていき、それがやがて高い敷居となっていった。

 

もったいないことをしたよなあと、いまなら思う。

 

こんな歌の一つ一つにも、実はとんでもないドラマがあるかもしれないと、子供のころに分かっていたなら、あの退屈な十代の日々、どれほど面白がることができたことか。

 

上代の人だって現代人と同じ人間である。

面白いとか、すごいとか思うから、歌に詠むし、わざわざ本に書き残す。

 

そんな当たり前のことが分からない大人を作ってしまわないように、どうか学校の先生は、「趣深い」だの「風情がある」だのという古典教育を全廃していただきたい。趣って一体なんなのよ。自分でもわかんないことを、分かったような言葉で子供に教えてはいけません。

 

さて、愚痴はともかく、日置(へき)さんの歌に話を戻す。


「縄の浦」というのは、どこだかよくわからないらしい。兵庫県相生市那波(なば)の海岸か、という説もあれば、高知県安芸郡奈半利(なはり)町の海岸だという説もある。

 

奈半利の方々は、「縄の浦」イコール「那波の海岸」と信じて、日置少老のこの歌を刻んだ歌碑を立てているそうだ。

 

もちろん相生市のほうも負けてはおらず、やはりこの歌の歌碑を立てている。

 

日置さん、なかなかの人気だけれど、さて一体どこまで、何のために旅したのか。
そもそも、どういった人物なのか。
実はそれも全く分からないらしい。

 

名前も変わっている。
まず、読み方がわからない。
「へきのをおゆ」と読んでる本もあれば、「ひおきのすくなをい」と呼んでいる人もあるようだ。
一日おきに、ちょっと老ける?
あるいは、日を置いてもあんまり老けない?


若いのか老人なのか、測りかねる人物である。


薩摩半島に「日置(へき)市」というところがあるが、関係があるかどうかも不明。日置のホームページに行ってみたけど、少老さんに関する記述はないようだった。


万葉集に載っている彼の歌は、この一首のみ。
分かっているのは、この人が旅をしているということ。
そして、塩を焼く煙を目撃したらしいということ。


さて、ここからは想像である。


日置さんは、だふん、船に乗っている。

 

塩を焼く煙が「ゆふされば ゆきすぎかねて やまにたなびく」と歌っているが、夕方が来たからといって流れる方向を変えて煙が登山をしたがるとは思えない。山に棚引きたいのは、おそらく日置さん本人である。上陸したいのだ。

 

夜の航海は、体に悪い。できれば陸地で眠りたい。
そんな気持ちが「ゆふされば(夕方になったから)」という言葉に表れているのではなかろうか。

 

次に場所。


「我が町の歌じゃきに」とおっしゃっている高知県の方々には悪いけど、私は「縄の浦」は兵庫県相生のほうではないかと思う。

 

同じ巻三の、日置さんの歌のすぐあとに、山部赤人が「縄の浦」を詠んだ歌が載っているのだが、その歌の直後に「武庫の浦」の歌がある。高知の直後に兵庫県西宮市の武庫の浦に戻るというのも突飛な話である。ここは兵庫県内でまとまっていると考えたいところである。


日置少老さんが、仮に都の貴族だとすると、浜辺で塩を焼く光景には、エキゾチックな物珍しさを感じたはずである。都人にとって「ここから先は異文化領域」と意識される明石あたりを過ぎ、いよいよ異界に突入したという気分でいるところ、夕暮れ時になった。ホームシックの気分がかきたてられる時間帯である。山側にたなびく煙に感情移入するのは、不自然なことではないだろう。


日置さんは、おそらく、相生市よりさらに西に向かって、旅を続けていくのだろう。さっさと進めば旅もはかどる。けれども 「縄の浦」は「行き過ぎ」かねた。その理由は・・・・

 


 《意訳という名のつくり話》


  -----日置少老氏の心の叫び----
 

 年の分からん男だと、人に言われることがある。
 酔いが顔に出ないとも。


 悪かったよな。分かりにくい人間で。
 別に隠し事があるわけじゃない。
 しゃべるのが面倒なだけだ。
 いまだって、そう。


 口なんか開いたら、出てくるものは
 言葉じゃない。

 胃液だ。

 

 俺、船、苦手なんだよ。
 そう言っただろ?
 旅なら陸路。歩くなら山。
 水溜りは大嫌いだ。


 しかも流れてるんだぜ、ここの海は。
 誰だよ、「そのうち慣れるさ」なんて、
 無責任なこと言ってたやつは。
 慣れねーよ。


 武庫の浦で、寝ゲロ三回。
 明石の浦で噴水ゲロ五回。


 このあと、一晩中吐けってか?
 御免こうむるね。
 
 そこ、縄の浦っていうんだろ。
 塩やいて煙のぼってる、そこだよ。
 上陸してくれ。頼むから。


 ほら、煙だって、山のほうに棚引いてるだろ。
 海、もうイヤなんだよ。
 喋れねえんだよ、俺は。
 さっき胃液が鼻にのぼって、
 死ぬほど痛いんだよ。
 お前ら察してくれよ、この苦境をよ。
 そんなに分かりにくいか? 俺の表情って。
 上陸させろ。
 頼むよマジで。
 
 
 
日置さん、翌朝、ちゃんと乗船できただろうか。

 

 

(2005年5月25日)  

 

※他ブログに同内容の記事を掲載していましたが、今後、こちらにまとめていく予定です。

 

f:id:puyomari1029:20201013155050j:plain