(2005年12月10日)
心身共にぐったりきているときに、テンションの高い方と会話をするのは、かなりキツいものがある。
とくにそれが一方的な、しかも早口で声高な質問攻めの場合は、一言一言が、神経に、ガツンガツン、堪えたりする。
「ねえねえ、お子さんの障害、いつごろ気づきました?」
「うちは二歳になってすぐ…かな」
「やっぱり上にお子さんがいらしたから、分かったんですか?」
「いや…とにかくもう、あからさまにおかしかったから」
「そうなんですかー。たとえばどんな?」
「視線合わない。言葉でない。常同行動。その他自閉的な症状がほとんど出そろっちゃってて」
「ああーっ、うちも! 自相の診断は? 手帳はどんな判定でした??」
「Aですね」
「そうなんですか~♪♪ それで診断名は?」
「ま、一応、広汎性発達障害ってことで」
「うわーおんなじだー♪♪♪♪♪♪」
「……(たじろぎ)」
話相手は、軽度の自閉症の息子さんがいるという、若いお母さんである。とにかくものすごくはしゃいでおられる。たとえて言うなら、数年ぶりに同窓生に出会って昔のハシャギを思い出した、結婚前のOLさんのノリというか……
「で、いまどんなことされてます???」
「どんな、というと」
「お子さんに! お勉強♪とか色々!!」
「ああ、まあ、療育とか、ビタミン投与とか、その他いろいろ……」
「えええっ??? ビタミンって、例えばどんな?」
「えーと……」
このあたりで、実は気が遠くなり始めていた。
会話の行間に多量に飛び交う「♪♪♪」に押されて、私はじりじりと後ろに下がっている。
もともと私は、ハシャギ系の会話にはついていけない。不愉快、というのではないけれど、なんだかこう、話が通じて会話が成立している実感が持てなくて、どんどん声が低く太くなってくる。
ぼそぼそと返答しながら、この人は、自分の子供が自閉症なのがどうしてこんなに嬉しいんだろうかと、ぼーっと考えてしまう。
いや、そうじゃなくて、ただ張り切ろうとしているのだというのは分かってはいるのだ。若い人だし(たぶん私より一回り以上は年下)、まだまだ自分にできることはたくさんあると強く信じることで、一生懸命気を引き立てているのだろう。
そう、気持ちは分かるのだ。
ただもうちょっと、テンションを抑えてくれれば……
せめて、ひどい頭痛のしている人間の前では。
「すごいですねっ♪ そういうのって、だれか教えてくれる方とかがいたんですか??」
「いや……ネットとか、本とか読んで……」
「そうなんですか~♪♪♪♪」
次第にぼーっとしてくる頭でも、息子に飲ませているサプリ類の種類をそらんじるのは、まあなんとかできたけれど、彼女は勢い込んで、その一つ一つに興奮気味のツッコミを加えてくる。
「どうして飲ませるんですか?!?!?」
「や、えーと、神経系の発達とか、伝達とかを、促す効果のあるものもあ……」
「そうなんですかーっ!!! で、効果はどんな具合でした?」
「効果は……あったといえばあったような」
「こうハッキリ目に見える変化とか、そういうのは??」
「まあ、若干、多動と常同行動が、多少落ちつ…」
「うわあっ、そうなんですかあ! でも、よくそういうの、効かないっていわれてますよねえ。うちも勧められて少し飲ませてみてるけど、はっきりいって変化かったんですよ。そういうの、どう思われます?」
「……ビタミンも、他のいろんな物質と協力して働くものだから、それ一つだけ与えても、大きな効果は望めな…」
「ということはっ、どうすればいいんですか!!!??」
それを私も教えて欲しいんですよ、とは言えず、かといって、痛くてダルい頭に鞭打って、この女性に私の知っていることをせいいっぱい要約して話しても、いったいどれほど伝わるのだろうかと、心許ない気持ちになる。
私が「自閉症児の親」になって、まだたったの六年ほどだけれど、こういう感じの方には、もう何人も出会ってきている。
間髪を入れないたくさんの質問。前向きでエネルギッシュだけれど、どこか現実から目をそらした印象のある言動。解決法を探しているようでありながら、つきつめると「自分のかわりに道を探してくれる人」を求めているらしい行動。
早期療育に心を向けても、長くて二年、早ければ数ヶ月で、リタイアしていく彼女たち。
淋しい会話。
取り残されていく言葉。
オンラインだと、こういうお付き合いの頻度はもっと増える。
私のサイトを読んだ方との、問い合わせと返答のメールのやりとりのあと、よく、「このサイトにであえてほんとうによかった」という感動の言葉を頂戴する。「これからも、ずっとお付き合いください」とも。
何通送られても、そのほとんどの送り主は、送った言葉といっしょに私をネットに置き去りにして、あっという間に消えていくだろう。実際、いままでそうだった。
もちろん、そういう人々を責めるつもりなんて、全くない。
だいたい私だって、似たようなものかもしれないのだ。
いつもいつも、息子の自閉症が抜き差しならない重度であることを、直視できているわけではない。六年間、やめずに続けてきた療育だって、その負担を自分で背負うことで、改善の可能性のとてつもない低さから目をそらしているだけではないのかと言われたら、「違う」とはっきり否定できるだろうか。
できません。
でも、私はたぶん、このままずっと、息子の療育を続けるのだろう。サブリ類の情報収集、自閉症そのものの正体についての調べ物も、いままで通り続けていくだろう。可能なかぎり、いつまでも。
なーんてことを考えていたら、ものすごーく停滞した気分になったので、昨日から文庫本五冊を読み倒し、どっぷり小説世界に浸っておりました。
ダイアナ・ウイン・ジョーンズの超大作「デイルマーク王国史」全四巻のうちの三巻……と、怪しいライトノベル二冊。ちょっと元気出ました。
⭐︎過去日記を転載しています。
⭐︎転載日…2024年12月18日。