湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

微妙に腐女子の万葉集

今回は「イケてない」もしくは「行けなかった」男たちの歌、第三弾。

もしかしたら、これ、シリーズになるかもしれない。

 

沙弥満誓歌一首

世間乎 何物尓将譬 旦開 榜去師船之 跡無如 (351)


世の中を 何に譬(たと)へむ 朝開き 漕ぎ去にし船の跡なきごとし

よのなかを なににたとへむ あさびらき こぎにしふねの あとなきごとし


【普通の解釈】

人の世を何にたとえようか。朝に漕ぎ去っていった船の、波の跡が残っていないようなものだ、とでも言っておこうか。ああむなしい。

 

 

 


旅のイメージはあるが、直接、旅を歌ったものではない。


何らかの理由があって、「世の中」を「漕ぎ去にし船の跡なき」に喩えている。

 

作者の沙弥満誓という人は、俗名を笠麻呂(かさのまろ)といい、美濃守として木曽路の開通に尽力するなどの土木工事の功績を認められて、国守として従四位上を授けられ、尾張三河信濃の管理をも任されていたという。


よくわからないけど、わりと有能な県知事、あるいはバリバリのビジネスマン、という感じだろうか。


その後、笠麻呂は出家して、筑紫観世音寺別当として大宰府に行った。そこで彼は、ある人物と出会い、とても親しくなり、そして別れる。


けどその話はまたあとで。


歌を見ると、「何に譬(たと)へむ(何にたとえようか)」と自問して、あっという間に「~ごとし」と、きっちり自答してしまうあたりに、なんだかせっかちな性格の印象を受けるんだけど、ひょっとしたら、有能なビジネスマンらしい几帳面さ、と取るべきなのかもしれない。

 

まあ、こういうタイプの人が、思いがけない色恋なんかに足を取られると、狭く深くずっぽりはまって抜けられなくなるというのは、ありそうなことではある。


「朝開き」は、泊まっていた船が、夜明けを待って漕ぎ出すこと。朝の船出。

 

「跡なきごとし」は、船の姿が見えなくなることを言っているのか。それとも航跡が消えてしまうことを言うのか、ちょっと分からない。

 

でも、いずれにせよ、彼は、「世の中」を出ていく船にたとえ、少なからぬ喪失感を抱いているらしい。


では彼にとっての「世の中」とは、なんだったのか。

 


 よのなか【世の中】《ヨは人の一生。ナカは間・関係》
  [1] 人間の一生
     1.寿命。一生。
     2.人生
  [2] 人間社会。また、その中での人間関係。
     1.(人間の)社会。
     2.俗世。浮世。
     3.世事。雑事。
     4.俗世間での栄枯。世間での境遇。
     5.世間普通であること。
     6.男と女の仲。
     7.国の政治。
  [3] 人間界の周囲の状況。

     1.自然界の様子。
     2.天候。時候。
     3.その年の農作の状態。農作物のでき具合。
      また豊作。
                 (岩波古語辞典) 

 

 


[3]の1-3は、ちょっと歌に合わないが、それ以外の語義は、どれを当てはめても、それなりに解釈できてしまう。

 

満誓は、元明上皇の病気祈願のためという理由で出家したらしい。だとしても、有能な国司だった人が、いきなり僧侶になって大宰府に転勤というのは、ずいぶん唐突な気がする。「世の中」に、何か別の事情があったのかもしれないが、歌からはそういうことは分からない。

 

歌の中の「世の中」を、「人の一生」「地位」などと考えれば、満誓がこれまでの人生と今の境遇を振り返って、そのむなしさに虚脱感を覚えている、というような歌として捉えることができるだろう。

 

ただ、満誓は、こんな歌も残している。

 

 


太宰帥大伴卿上京之後、沙弥満誓贈卿歌二首

真十鏡 見不飽君尓 所贈哉 旦夕に 左備乍将居  (572)


大宰帥大伴卿の京に上りし後に、沙弥満誓の、卿に贈りし歌二首

 

まそ鏡 見飽かぬ君に後れてや 朝夕に さびつつ居らむ

まそかがみ みあかぬきみに おくれてや あしたゆふへに さびつつをらむ

 

【普通の解釈】

どれほど見ても、見飽きることのないあなたに置いて行かれた私は、朝から晩まで、さみしく過ごすのでしょうね。

 

野干玉之 黒髪変 白髪手裳 痛恋庭 相時有来 (573)

 

ぬばたまの 黒髪変はり 白けても 痛き恋には 会う時ありけり

ぬばたまの くろかみかはり しらけても いたきこひには あふときありけり


【普通の解釈】

真黒だった髪が白髪になってしまっても、心痛い恋に出会うことはあるのですねえ。

 


この二首は、大伴旅人大宰府を去り、上京したあとに、満誓が贈ったものである。

まるで、熱烈な遠距離恋愛の恋人同士のメールのようだが、贈ったのも受け取ったのも、いい年の男性。


「まそかがみ」は、澄み切った鏡の意で、「見る」にかかる枕詞でもある。

「みあかぬきみに おくれてや」は、どんなに見ても飽きることのない君に、取り残されて、という意味。

 

最初に引用した歌と、この二首とは、掲載場所もだいぶ離れているけれど、「こぎにしふねの あとなきごとし(351)」に、船で筑紫を去っていく大伴旅人の姿が重ねあわされていると考えるとすれば、「世の中」にこめられた意味は、かなり複雑なものとなってくる。

 

 


《例によって三首まとめて強引に意訳》

 

 こんな朝が来るなんて、想像もしなかった。
 君の乗った船は、もう見えない。
 語り明かした夜のなごりも。
 残っているのは、
 バカみたいに晴れた空と、
 あっけらかんと打ち寄せる波と、
 からっぽの僕。
 
 しかたがない。
 僕らの仲は、
 「いい友達」
 「飲み仲間」
 それだけだった。
 転勤で離れてしまえば、
 それっきり。
 それが普通だ。
 でも。

 ・・・・・・

 やっぱりダメだ。
 このまま、何もなかったことにして、
 生き続けることは僕にはできない。
 手紙を書こう。
 気持ちを伝える勇気を持とう。
 たとえ、それで嫌われたとしても。


  大伴君 お元気ですか。
  僕は元気じゃありません。
  君に取り残されて、
  大好きだった君と会えなくなり、
  朝も昼も夜も淋しい。ただ、淋しい。
  いつだって僕たちは、
  鏡の中の自分の姿を見るよりも、
  よくよく互いを見詰め合っていたでしょう。
  恋愛に年は関係ないって、
  自分で体験して初めて知ったよ。
  君に会いたい。いますぐにでも。
  君は、僕と同じ気持ちだろうか。
  お返事待ってます。 


 

 

これに対して大伴旅人氏は、こんな歌を返している。



大納言大伴卿和歌二首

此間在而 筑紫也何処 白雲乃 棚引山之 方西有良思 (574)

 

ここにありて 筑紫やいづち 白雲の たなびく山の 方にあるらし

ここにありて つくしやいづち しらくもの たなびくやまの かたにしあるらし

 

【普通の解釈】

大和から見て、筑紫はどっちの方角? あの白い雲がたなびく山のほうらしいのか。ふーん、そう。

 

草香江之 入江二求食 蘆多豆乃 痛多豆多頭思 友無二指天 (575)

 

草香江の 入江にあさる 蘆鶴の あなたづたづし 友なしにして

くさのえの いりえにあさる あしたづの あなたづたづし ともなしにして


【普通の解釈】

草香の入り江でエサをあさっている蘆鶴(あしたづ)っぽい感じで、たづたづで、ズタズタで、心細いんだよ、ボクの心は。だって友だちがいないから。

 

 

 

 《こちらも二首まとめて・・・・》

 
 まんぜいちゃん
 おてまみ ありがとう。
 なんか おげんきなさそうですね。
 だいじょぶ?

 大伴酔っばらい研究所 大宰府支部
 きみにゆずったんだから
 げんきだしてよ。
 ね。

 ぼくは、あいかわらず、のんでます。のんべです。
 でもって、いまも、ちょっと、ヨッパです。

 でもなんか、いまいち、陽気に酔えないんだな。
 なんでかな。
 やま、見るでしょ。
 しらくもたなびく、たかーい、やま。
 あっちのほうが、筑紫かなー、なんて、考えるとね。

 ま。
 ヨッパらってると、
 方向なんて、わかんないけど。

 そっちじゃ、たのしかったよね。
 きみとか、憶良くんとか、いっぱいいてさ。

 こっちじゃね、 
 鶴が二匹でつーるつる
 なんてジョーク飛ばしても、
 だーれも、笑わないの。
 こころぼそく、なっちゃうよ。

 え? レベル低すぎ?
 まあね、自分でもそう思うよ。
 きみたちいないと、ダメみたい。
 一匹オオカミならぬ
 一羽でスベッてる、ツル。
 なんちゃって。
 んじゃ、またね。

 


なんとなく、両者の間にはかなりの温度差がありそうな気がするのだが、気のせいだろうか。
 

 

(2005年05月28日) 

 

※他ブログに同内容の記事を掲載していましたが、今後、こちらにまとめていく予定です。

 

 

 

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