湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

2001年9月11日の翌日の日記

 

きのうは早く寝てしまったので、世界で何が起きたのか、全くなにもしらなかった。

 

いつもどおり早く起きて、ネットにつないだとたん、すごいことになっているのがわかった。みんながそのことを書いている。ニュースもたくさん流れている。

 

すぐにテレビをつけた。

 

マンハッタンの高層ビルに、旅客機が2度激突し、崩壊していく。

そのシーンが、何度も何度も繰り返される。

 

現場でそれを地上から見ている女性が、叫んでいた。

 

「人々が……人々が、落ちてくる!」

 

連呼される「people」という単語が、とてつもなく無惨で物質的に思えた。


吐き気がとまらない。

 

やがて、あの光景を見て踊る人々がいるということが報道された。世界の断絶をあおる、いやな報道だ。犯人の素性もまだ分かっていないのに。うちのちかくにモスクがある。通ってきている人達は、無事に道を歩けるだろうか。気持ちの悪いことにならないだろうか。不安が募る。


今日は曇っていて遠くのビル街は少しも見えないが、窓の外を鳥がよぎるたびにぞっとしてしまう。

 

わけがわからない。ずいぶん前からテロの情報はあったようなのに、何もできなかったのだろうか。日本であれが起こらないという保証なんて、あるのだろうか。


どうなるのだろう。

ブッシュ大統領の声明は見た。

どこと戦うつもりなのだろう。
アメリカの軍事評論家はもうすっかりやる気のようで、潜水艦や空母や戦闘機の数を並べ立てている。彼らはハイジャックされた民間機も撃墜するつもりなのだろうか。


今日は息子の施設にいって、医者の診察を受けたり、先生方といろいろ話したりする予定だった。

 

そのあと、言語療法の先生に会う予約も入れてある。

 

息子は数日前からパーキンソン病の治療薬を処方されて、飲み始めている。

息子の診断をしてくれた医師と相談の上、試してみることにしたのだ。

 

おととい、息子は居間に置いているジャングルジムのてっぺんで、器用に仁王立ちになって、覚えたばかりの言葉を叫んだ。


「はげ!」


よりによってなんでこんな言葉を覚えるのかしら、とかなんとか、他愛もない話をしながら、和もうと思っていた。

 

施設でも病院でも、きっと、テロの話は一切出ないに違いない。

 

世間に受け入れられない弱い命を守り育てる営みと、あの意志的に行なわれた大量死とのあいだには、どんな言葉でもつながりのつけようがない。空しくなるだけだ。


言葉は空しいのだろうか。

 

ゆうべは言語学者チョムスキーが若いころに書いた本を読みながら寝てしまったのだった。ヒトがなぜ、どうやって言葉を話すのか、熱く語られているのを読むのが好ましく思えたからだ。

 

それにチョムスキーは日本に原爆が落とされたと知ったとき、深く傷つき、落胆したと、朝日新聞に寄せた文章に書いていた。それもあって学生のころに買った「言語と精神」をひっぱりだして、読む気になったのだった。

 

言語と精神 (KAWADEルネサンス)

言語と精神 (KAWADEルネサンス)

 

 

 

民族にも国籍にも信教にも無関係に、ヒトならば脳内に等しく持っているはずといわれる、言葉で自在に語る能力(うちの息子にはまだないが)。無限の文章を生成する能力。ヒトの脳が三百万年前に今の形になったあと、二百万年以上もかけて、この力をヒトがみんなで一緒に、じわじわと命を注いで培ってきたのだ。数百万年の成果でも、殺して壊すのは一瞬で済む。言葉の無限はテロや戦争の意志に、どうしても勝てないのだろうか。

 

何を書いてみても元気なんか出ない。


(2001年9月12日) 

 

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※古い日記を改稿して転載しています。