自閉の子の音楽療法にグレゴリオ聖歌が効果的だというので、さっそく家のなかを探したのだが、見つからない。たしか息子が赤ん坊のころ、子守歌にしていたはずだったのだが。あれはラジオのFMだったのか。
しょうがないので、マタイ受難曲をかけたところ、息子がたいへん喜んで、プレステ2の前から離れない。
なぜプレステ2かというと、うちはステレオもラジカセも故障中で、音楽はプレステで聞く以外にないからである。こんな貧弱きわまりない環境で音楽療法だのと言うのはどうかしていると思われるかもしれないが、これが意外ととよかったらしい。
ふだんよく聞いてなじんでいるテレビの音は、息子の耳にはとても入りやすく、聞きなれない音楽をかけてもあまり抵抗がない。
しかも、プレステに音楽CDをかけると、テレビの画面に色鮮やかなキューブの行列が並び、音楽とともにくるくる回ったりする。それがまた図形好きの息子の心を引きつける。回転するキューブに見とれながら、息子マタイ受難曲の歌詞を聞きとって口ずさんだりして楽しんでいる。
そんなものを聞き取れるのに、どうして日本語を聞きとって話せないのか不思議でしかたがないのだが、もしかしたら、日本語も、バッハの曲に乗せてキューブをまわしながら聞かせていれば、もしかしたらしゃべれるのかもしれない。
なんにせよ、マタイ受難曲によって息子の情緒がとてもよく安定することがわかったのは、収穫であった。ほかの受難曲も試してみようか。
この「マタイ受難曲」療法の唯一の欠点は、他の家族が全員寝込んでしまうことである。
真っ昼間から亭主は熟睡。長女さんも、
「このおんがく、ちょっとちゅまんない」
といって、布団にもぐりこんでしまった。
私も相当眠く、体調も最悪だったが、息子一人を置いて寝入るわけにもいかず、必死で耐えた。つらかった。
全曲聞き終わると、]「あーよく寝た。実によく眠れる曲や」などといって、亭主と長女さんがのんきな顔で起きてきた。飛び蹴りをくらわそうかと思ったが頭痛と吐き気がひどいので我慢して、「マタイ受難曲」療法が息子に効果的であったことと、時折歌詞を口ずさんだりしていたことなどを報告した。
すると亭主が、
「ワシは受験勉強中、一晩中これを聞いていたが、全く頭に残らんかった」
という。笑ってやったら、
「んじゃお前、歌詞の中身、知っとるのか。
そのときぃぃぃマタイ師わあぁぁぁぁ、
教会から三歩あるいて振りかえりいぃぃぃぃぃ、
みたいなことを、長々と歌っとるに決まっとるんじゃ。でなけりゃこんなに曲が長くなるかい。眠くなって当然なんや」
と、ボヤいた。
以下はそのあとの会話の続き。
「だけどマタイ受難曲の歌詞なんて、いつ読んだわけ」
「ドイツ語の○○の授業のテキストが、あれやったんや」
「ああ、なるほど。んで、教会から三歩あるいて振りかえり、とかいうのも、テキスト の中にあったわけ?」
「いや、そういうのは、なかった」
「ひょっとして、口からでまかせ?」
「そうや」
「信じかけたじゃない」
「ワシの話なんか聞くな。福音書読め。書庫にある」
「ああそうか。聖書ね」
「エヴァンゲリッシュ、なんたらって、出てくるで。ドイツ語じゃさっぱりワケわから んかったが」
「ははは、エヴァね。しかしそんなんで、単位とれたわけ?」
「取れたが、Cやった。ただでさえ全くわからんのに、あれの試験の日、ワシは四十度 の高熱を出しとってな、試験問題、まるで頭にはいらんかった。ワシとTだけ、延々と 答案を出せずに居残りしてたな」
「二人とも、いまや大学のセンセだね」
「恐ろしい話や」
「学生には言えないね。しかし○○先生って、やさしかったんだね。私なんて、とうと うドイツ語、いっこも単位とれなかったよ。全部落とされた。っていうか、教室から追い出された」
「そのほうが不思議や。ドイツ語のせんせは、なんちゅーか、精神主義ちゅうか、オーバードライブしとる人が多くてな。よくもわるくも西尾幹ニ的ちゅうか」
「ちょっとイヤかも」
「フランス語のせんせは、マイナス方向にオーバードライブしとる人が多いなあ」
「たしかに。いじわるで皮肉っぽい人、多い気がする。単位くれたけど、よく立たされ てバカにされた」
( _ _ ).。o○
長女さんがピアノ教室のコンサートに出ることになった。曲目は未定。娘の師匠は、いまのところ、ハレルヤ、もしくはチューリップのどちらかを予定しておられるようである。娘は音楽は大好きだが、練習が大嫌いである。どうなることやら。
(2001年9月5日)
※過去日記を転載しています。