湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

テロの報道とインド映画

 

ゆうべは一時ごろまでニュースをみて、それから眠りについたのだが、二時間もたたないうちに目覚めてしまった。家の外で妙な物音がしていた。横になったまま聞き耳を立ててみたが、音の正体が全く分からない。風のようでもあったが、何か怪物化した正体不明の肉体がゲロを吐いているかのような、生理的に気持ちの悪い音だった。

 

眠れなくなったのでテレビをつけると、少しづつニュースが移り変わっていた。アメリカは少しづつ犯人に関わる情報をつかみ始めているようだった。行方不明者の家族たちの個々の声が、現地のニュースキャスターによって次々と紹介されていた。十人の子持ちの父親が行方不明、双子の幼児の父親と連絡取れず、といった情報の断片が耳に飛び込んできた。

 

悪夢のようだと思いながら眺めていて、いつのまにか寝入っていた。


ところが何分もしないうちに、家のドアをドンドンと叩き続ける音が聞こえてきて、否応無しに目が覚めた。意識がはっきりすると、ドアの音は消えてしまう。けれども寝入ると、またドンドンと聞こえ始める。夢とうつつのはざまに響く音らしかった。それを三回ほど繰り返したあと、眠るのを諦めた。


置きあがってパソコンを立ち上げ、インターネットにつないであちこち眺めてみた。関連の掲示板はいつものように、情報性が少ない、痛みに無感動な書き散らしにあふれていたが、事件の衝撃に刺激されて、眠るよりも人と話していたい人が多いのだな、というのはよく分かった。


テロの首謀者と見られている、ビン・ラディンという人の経歴や、インタビュー記事の邦訳を見つけたので、いくつか拾って読んでみた。

 

テレビで見る限りでは、過激な思想の扇動者というよりも、むしろ自己を殺した敬虔なしもべといった印象の人である。群集を前にテロ実行を宣言するときの語り口調もどことなく湿っぽく、かつねばっこく、厭世的なペシミストの雰囲気が漂う。ほんとにやる気があるのかと疑いたくなるほどである。とにかく見た目には、フセイン大統領などとはまるでタイプの違う指導者だと思った。


インタビューで語られていることは、終始一貫、イスラム原理主義者としての論理が貫かれていて、微塵のゆらぎもない。コーランとアラーの神の教え以外に正義はない。その論理のなかでは、アメリカ国民を殲滅することすら、明快な正義なのだ、ということが分かった。たとえブッシュ大統領が原爆で絨毯爆撃するといっても、この人たちのテロの意志は消え去ることはないのではないかと思えた。神や経典をミサイルで殲滅することは不可能だろうから。


イスラム原理主義というものが最初に頭に刷りこまれた事件がどれだったか、もう思い出せないほどであるが、強烈に印象に残っているものとしては、働く女性たちの惨殺事件がある。犠牲になったのは、教師として働いていた女性たちだったと記憶している。彼女たちはアラーの教えに背くものとして、首を切り落とされて道端にさらされたのだった。アメリカのテロ首謀者をかくまっているらしいと言われている原理主義者たちは、女性の就業を禁じるのはもちろん、マニキュアを塗った女性の指を切り落として罰しているという。おとといのテロ首謀者も、湾岸戦争で派兵されてきたアメリカ軍の女兵士のTシャツ姿を見て激怒し、反アメリカに転じたと、どこかに書かれていたが、原理主義者であれば、ありそうな話である。


こういう話ばかりあると、イスラム世界には心理的にもとても近寄り難く思われてしまうのだが、原理主義者と一般民衆とでは、生き方、あり方がずいぶん違うのだろうということも想像がつく。


数ヶ月前に、「ボンベイ」というインド映画を見た。

 

 

ボンベイ [DVD]

ボンベイ [DVD]

  • 発売日: 1999/06/19
  • メディア: DVD
 

 

インド国内での、ヒンドゥ教徒とイスラム教徒の摩擦と暴動をテーマにしたもので、異教徒同士の恋愛結婚を通して和解を訴えたためか、監督マニラトナム氏の家に爆弾が放り込まれたそうである。

 

この映画では、敬虔な信者ではあるけれど、原理主義者とは言い難い、主人公夫婦の親たちの、人情の濃い生き方が、とても印象的だった。

 

どんな宗教の人だって、人の親ならば似たような情を持つのだろうし、子供や孫が生まれれば、命にかえても守り、慈しむのだと思う。


命や肉体に経典以上の価値を置かない宗教は危うい。

けれども、命や肉体に価値を置けないほど、政治や貧困に追い詰められることこそが、最も危ういのかもしれない。

 

などと考えながら、ようやく朝方寝ついたのだが、こんどは映画さながらの暴動に巻き込まれたような夢に叩き起こされてしまった。どうも、服用している薬の副作用のような気がする。病院で処方されたものなのだが、注意書きに「悪夢」と記載されているのだ。飲む分量が、体調に合わなくなったのかもしれない。

 

結局、寝るのはもはや諦めて、幼稚園に行く長女さんの弁当をこしらえ、息子を施設に送り出して、今に至る。

 


(2001年9月13日)



※過去日記を修正の上転載しています。